島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

口之津貝塚2

2021-06-05 13:01:01 | 歴史・史跡
21.6.5(土) 天気;曇り 気温;15℃
 朝からお山は見えていたので撮影しました。
 表面的には崩れたように見えませんね。新聞によると「低周波地震は通常より揺れの間隔が長く、地下の熱水やマグマなどの活動が関係して起きると考えられている。」と書かれています。(やっぱり表面には現れないか・・・)

 表題に戻りましょう。
 観察会で訪れた「口之津貝塚」は10年前に紹介済みだったりします。(2011年6月15日記事
 今回は撮影不可なほど荒れていたので写真がありません。が、看板だけはなんとか残っていました。また、当時は現地の看板くらいしか情報がなかったのですが、今回は図書館まで出かけ少しだけ詳しく調べてきました。
「この貝塚は弥生時代中期後期文化(1900年前)のものとされて、これまで何回となく発掘調査がなされたが、その記録によれば昭和四年加津佐読書会によって発見された。
 (中略)昭和41年3月、口之津町及び同町教育委員会は島原史学会と共同調査をなした。その結果、
土器=製塩に関係あるものと考えられる可能性の強い土器があった。これらの土器は未だ類例を見ないところであり口之津式土器と仮称する。
石器=有明海沿岸遺跡のうち、長崎県・熊本県の縄文文化より弥生文化に共伴して濃厚な分布をみる特殊なもので漁撈具の一種と考えられる。
骨角器・鉄器=骨角器四点、鉄器三点を発見した。
以上により二つの重要な課題を提出するに至った。
 その一つは口之津式土器の性格であり、他一つは石器の性格である。従来日本の製塩土器と称されるものに比較した場合、口之津式土器は形成の上でも、その性格の上でも、全く関連性のないものであった。(え?) 形式上からすれば、むしろ奈良・平安期以降のものに類形を求められるかも知れない。と言って本遺跡は古墳物、或は他の遺物を全く混入しないもので、将来の類例を待たねばならないし、早急に推測結論をすることは危険である。(口之津貝塚調査報告)」
 んー要は「よく分からない」ってことか。調査から50年ほど経過していますが、答えが出るのが先か雑草に埋もれてしまうのが先か・・・。
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