島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

化屋の弘法さん

2019-01-23 13:14:40 | 歴史・史跡
郷土誌などの歴史的な資料は図書館は貸し出してくれない。
それでも貸してくれそうな所を調べて、アタックしている。(諫早市図書館では一悶着あったがここでは伏せておく。)
多良見町の史跡・文化財の話に戻るのだが、多良見町の郷土誌は昭和46年印刷発行とかなり古くて(私が生まれる前!?)、現状と一致しない記載が多い。
今日も資料を読んでいて、「あれ?この記載はこの前撮影してきたこの事を言ってるんじゃないか!?」と気付いた。
それが郷土誌では「弘法さん(化屋)」として紹介されている。
少し話を巻き戻す。
昨年末に更新した「化屋大島石棺群」の後くらいだ。
石棺群がある辺りからまだ丘の上へ登る道が続いているのだが、見る限り新興住宅地ぽくてこれ以上の史跡があるようには見えなかった。
そこで一旦下り、反対側の丘を登る事にした。
のだが、やはりこちらも住宅地で歴史的なものは見つかりそうもなかった。
しかし、一番奥まで歩いて行くと小さな公園があった。(表紙写真)
地元住民のための公園みたいな感じで、規模もそんなに大きくない。
ところが敷地内には立派な稲荷神社が建っている。

由緒ある所か分からないが、とりあえず写真は撮っておいた。w
公園内を散策すると、稲荷神社以外にもお地蔵様を発見した。

これがその「弘法さん」だったらしい。
「大島岡上に祠る弘法大師は八十三番一の宮の分祠である。(写真の右側、白い標柱に諌江八十八ヶ所“第八十三番札所”一宮寺と書かれている。)
この岡に登る道のふもと大島庵の跡というのがある(現在もあるのか不明)が、弘法大師も昔はこの地に祠られたのを頂上に移したのである。近くは塩田地であり、海の神、竜宮をその近くに祠り小さい堂宇を構え、子供の遊び場としている。塩田地附近として集落を作った名残が見られ、喜々津川を境に阿蘇島からこの地一帯が、舟津木床に次いで文化の営みが行われた事が想像される。」
今は公園の姿だが、ひょっとすると元々ここには「一宮寺」というお寺があったのかも知れない。
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