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たとえ嫁がどんなに憎くてもその産んだ孫が可愛くてたまらないというのは古今東西変わらぬ現象で、人類の七不思議の一つだと聞いたことがあります。
ましてやいい嫁や自分の娘の産んだ孫の可愛さは言うまでもありません。
孫達の方も共通して爺ちゃん婆ちゃんが大好きです。
私の場合は自身も娘も結婚が30代と遅かったので、他人の孫の話を羨ましく聞いていた期間がかなり長かったと思います。
それでも今は2人の孫に恵まれたことに感謝しています。
子や孫に恵まれない人達のことを思えば尚更その感を強くします。
先日の同期会で同室だったA君は子供は2人育てたが遂に孫を抱く機会は来なかったと少し寂しそうでした。
そんな孫ですから俳句の世界では、どうしても情緒的になりがちで、ベタベタした感情が拭い難いという理由で「孫俳句」は詠まない、とらない(選ばない)というのが通念となっています。
私はといえば少数派になりますがこの風潮には抵抗を感じています。
以下は10月の某インターネット句会(第201回目)の拙句と主宰の講評です。
余裕の手爺ちゃんに振る運動会
「幼稚園の運動会か。勝敗も順位の意味もよく理解していない子たちばかりで、応援している家族に向かって走りながら手を振ってしまう無邪気さ。ただただ明るいその光景を素直に詠んだ句。孫俳句はとらないと決めていたが、ちょっと変わってきたのかな、私も。」
ジュリアン
ゼラニューム