談志の落語は、落語である前にジャンルとしてまず談志なのだろう。だからこそ信奉者にはこたえられないのだし、弟子たちも彼の理不尽さを一種の「神の気まぐれ」と受けとめるのかもしれない。
しかしわたしは談志以前に落語が好きな、(談志ファンからすれば不幸な)常識人なわけで、だから世評高いこの本に対して、一種の警戒心をもって読まざるをえなかった。息苦しさはそのせいだろうか。芸事とは、落語とは、こんなにも求道的でなければならないのか?
タイトルは文句なしにおみごと☆☆☆★★★
談志の落語は、落語である前にジャンルとしてまず談志なのだろう。だからこそ信奉者にはこたえられないのだし、弟子たちも彼の理不尽さを一種の「神の気まぐれ」と受けとめるのかもしれない。
しかしわたしは談志以前に落語が好きな、(談志ファンからすれば不幸な)常識人なわけで、だから世評高いこの本に対して、一種の警戒心をもって読まざるをえなかった。息苦しさはそのせいだろうか。芸事とは、落語とは、こんなにも求道的でなければならないのか?
タイトルは文句なしにおみごと☆☆☆★★★
「池袋ウエストゲートパークの行方」はこちら。
新作も、つくづくうまいものだと思う。非正規雇用、シングルマザー、無保険、派遣などの時事ネタをとりこみ、池袋のトラブルシューター、マコトを通して世直しを訴える……このシリーズに石田はそんな公式をあてはめている。展開ははっきりと時代劇か西部劇だ。
売れ行きもウエストゲートパークと他では全然違うらしいので、若者を革命に煽り、旧世代に反省を求めるのは石田にとって池袋の地が最適だということだろう。まあ、大金持ちのジュニアたちにその改革をまかせるあたりが限界といえば限界。
でもこの寸止めがあるからこそ、石田は安心してテレビのコメンテーターに起用されるわけだ。格差社会の学習テキストを、保守本流である文藝春秋から刊行するにも、こんなテクニックと、売れ続けることが必要なんだな。みんな、買えよ。
前のように“熱い”悪人は出てこない。時代のせいで悪も疲弊している
ほんとに近ごろの若いヤツは……と呆れながら観る(笑)。誰がどう観たってヒッチコック「裏窓」のパロディなんだけど、どうにも主役のシャイア・ラブーフがまぬけでイライラ。教師を殴ったせいで自宅監禁となり、変な装置にコントロールされて30メートル以内しか動けないという設定は笑えるが。GPSってこんなことにも使えるんだね。
逆に考えると、同じのぞきをやっていても嫌らしい感じがしなかったJ.スチュアートは、いったいどれだけ味わい深いキャラだったか、とも言える。
隣で行われているパーティに嫌がらせをするために主人公が大音量で流すのがミニー・リパートンのLovin' You。ミニーが化けてでるぞ。わたしにとっては懐かしい曲なんだが。
お母さん役はキャリー=アン・モス。となりのお姉ちゃんよりはるかに綺麗なので……ってやっぱりこの映画を観るにはわたしは中年すぎたかー。
このタイトル造語らしいんだけど、邦題はもっと工夫できなかったか?たまに「タービュランス」と区別つかなくて。あ、やっぱり中年☆☆★★★
同じD.J.カルーソー&ラブーフの「イーグル・アイ」特集はこちら。
“高校球児が自分よりはるかに年下であることに気づいたとき、人は自分が年をとったことを確信する”ものらしい。わたしは鈍感だったせいで“北の湖が理事長になる”まで、年齢を意識しないで来てしまったが。
学校につとめていると、そのことをPTAとのつき合いで否応なしに感じさせられてしまうのではないか。新採の頃など、保護者たちとは酒の席で思いっきり説教をたれられる存在だったのに、いつのまにか同世代になり(ウチの学校のPTA会長は同学年だ)、大多数は年下になってしまった。
前任の中学校から異動するときなど、「おめどご小学校さやんな心配だちゃー。ヤンママばっかりだぜー」とPTAから歓送迎会の席で突っ込まれたりしたが、残念なことにどうやらそこまででもなかった(笑)。
しかし娘の学校の学年役員として、親子研修会の企画を考えていたときはさすがに考え込んだ。
「酒○米菓の工場見学なんかどう?」
「うーん、なかで山本リンダが待ってるっつーんならなー」
と気のないところをみせていると「?」まわりの役員たちは意味が分からない様子。
「オラン○せんべいのCMさ昔出っだけろー山本リンダ」
「えー?オ○ンダせんべいは水島裕じゃん」
「んだよのー。ゆー・ゆー・ゆーだよのー」
しまった。ヤンママはこっちにいたのだった。
2003年10月28日付「情宣さかた」裏版より。
選挙が近いものだからこのころは情宣を出してばっかりいたなあ。オランダせんべいは酒田米菓の主力商品。すごくおいしいです。秋田出身の柳葉敏郎が、なんかの番組で激賞していた。いいぞ柳葉。
第25話「消えた古畑任三郎」はこちら。
1~2シーズンの総集編「消えた古畑任三郎」のオンエアが1996年4月9日。視聴率がコンスタントに25%超というお化け番組となった古畑任三郎は、ほぼ三年後、1999年の正月にスペシャル版で復活した。
ゲストは人気絶頂のSMAP。彼らを“同じ孤児院出身の運命共同体である5人組”として犯人役に起用したのだ。フジテレビらしい仕掛け。古畑任三郎のイベント化はここに頂点を迎えたわけ。
三年もたっているので、キャストも仕切り直し。
「赤か青か」で爆発物専門家を演じた木村拓哉は、もちろんスマップの一員として。
「さよなら、DJ」でラジオ番組のディレクターを演じた宇梶剛士は卑劣な恐喝者として。
いたるところに出演していた梶原善は、弁当屋「梶善」(笑)の配達係として、それぞれ再登場する。
そして、もはや制御不能となった今泉慎太郎に代わる古畑の助手に、アリtoキリギリスの石井正則が起用された。これは三谷幸喜のたっての希望だったようで、“身体に似合って”コマネズミのようによく気がつくアシスタント役はぴったり。(誰も言わないけど)けっこう長身でスマートな西村雅彦とのアンサンブルもいい。
さて、今回は草なぎ剛を脅迫する宇梶を、5人全員で(アリバイをお互いに補完しながら)殺すストーリー。5人のなかで、誰かが計画を妨害しているという伏線も用意されている。
三谷幸喜は役者のキャラに合わせて書くのが好きなので、制約の多さはむしろ歓迎だったろう。いい子ぶる中居、ダンスのおぼえが悪い稲垣、切れるとみさかいがなくなる香取、しょぼくれる草なぎ、そして傲慢な木村……ジャニーズ事務所も脚本に苦笑していたのではないか。
「ぼくたちもオトナですから」と主張するスマップを「オトナじゃないから心配してるんじゃない!」と叱咤する敏腕マネージャー(戸田恵子)は、実際のスマップのマネージャー(ジャニーとメリーの娘との間で壮絶なバトルをかましているとか)がモデルになっているのだろうか。
スマップのことなど知らないふりをして、しかし「稲垣さん、『青春家族』拝見してましたー」とテレビっ子ぶりを見せる古畑がおかしい。
ただ、やはり「古畑任三郎」には、田村正和に拮抗できる“役者”が必要なわけで、ドラマ的には少しもの足りない回だった。だいたい、多少の恐喝なんかであの事務所が動揺などするものか。
第27話「黒岩博士の恐怖」につづく。
あ、ひとつ忘れてた。この回には小林千香子という元ホリプロのタレントが出演していて、すごく魅力的だったのだ。でも今は結婚して引退しているのだとか。そうかぁ、お幸せに。
PART6はこちら。
今回のレスは強烈ですよ。
「教員」が障害者なのは「あり」、受け入れてくれるはず。でも、「事務職員」は現状では難しいだろう、ということです。「周囲」が許す環境じゃないだろうと思うのです。なんていうか、事務職員が教員に「迷惑」かけるのは許されないって空気ひしひし感じるので(苦笑)
……これ、そう思っている人は多いんでしょうね。というか、障害者の多くはそう考えているんでしょう「迷惑はかけられない」とか。でもこんなレスも来た。
こういうところは、アメリカの方が日本よりもはるかにbetterなようですね。というか、先進国の中で日本が遅れている、と。
……まったくだと思う。初めてアメリカに行ったとき、入国管理の女性がいきなり障害者(サリドマイド関係だと思う)だったし、そういうのが普通なことに何より驚いた。アメリカはそういうところを強引にすすめていて、しかし知る限りそれを誇るふうでもない。逆に言うとアメリカの『市民』というカテゴリーはその意味でかなり力強い。わたしはよく考えるんだけど、国のやることってそういうことじゃん。少なくともそんな“普通の国”になってほしくてわたしは税金払ってるぞ。
障害者に対する見えない壁はまだまだ日本では強固で、なぜ見えないかといえば“それが当然だとみんなが思っている”からだろう。身体健康な人間しか教育にたずさわれないという発想こそが不健康だと、日本人が、その中でもひときわ山形県人がとらわれていると全国最低の数字は語っているのではないか。
県職員採用試験に身体障害者二人合格
和歌山県が今年度から初めて実施した特別枠での職員採用試験に身体障害者二人が合格しました。和歌山県人事委員会によりますと、合格したのは一般事務職で受験した女性1人と学校事務職で受験した男性1人の合わせて2人です。合格した2人は 今年の4月1日に県職員として採用される予定です。身体障害者の採用試験は受験資格の1級から4級の身体障害者手帳の交付などを受けている人を対象に和歌山県が特別枠として、今年度に初めて実施したものです。一次と二次試験が行われ、受験者数は一般事務職14人、学校事務職10人でした。
【2009年01月07日・和歌山放送ニュース】
09年1月号はこちら。
「キャーッ!!」
机を整理していた職員が悲鳴を上げる。
「ホリさーんっ!この補助券ってまだ使えるの?!」
「3月31日までだって説明しただろが」
「えー(T_T)」
年度末にかならず展開される光景。もらっていない人もいるので恐縮ですが、体調も悪いことなので今回はひまネタ「リフレッシュ施設利用補助券をどう始末するか」をお送りしてお茶をにごすことにします。
補助券の発行者は(財)山形県教職員互助会。公立学校共済組合に加入している人はまず例外なく会員になっています。トップはどちらも県教委教育長。まさしく職員相互の“互助”会を名乗っているにもかかわらず、公費が投入されていることで批判が集中しているのがこの組織。
そんな背景があるものだから補助事業の削減の一環で補助券もなくなるのかと思ったら……まあそれはともかく、今年度も3000円分の金券が支給されています。さあ、年度末まであと40日。使うあてのない補助券を文字どおりゴミ箱行きにしていいものか。
前は、処理方法が確立していました。
・契約している書店に行って急いで本を買う。
・契約している宿泊施設に速攻で向かい、泊まらないまでも食事をする。
・食事もする時間もなければその施設の売店で買い物をする
などなど。ところが、契約対象から書店は抜け、契約宿泊施設もどんどん減り、唯一のこった蔵王温泉「こまくさ荘」も今月末で閉鎖することから、こんな手はもう使えなくなりました。それではどうするか。こんな裏技もあったんです。
・補助券を旅行券に換えてもらう
もはや契約しているのはメジャーな旅行業者だけですから、その営業所にとびこんで旅行券を購入する。一見すばらしいアイデアのようです。しかしこれも実は法律上問題があるとか。
期限のついた金券を無期限のものに換えるのは、要するに金融業者が行うことで、旅行代理店はそんな交換はできないのだそうです。そこでもうひとつの裏技を仲間から紹介してもらいました。
・とりあえず(旅行会社から)キップを買い、数日後にキャンセルする。
これだと、自己負担が払い戻し手数料の数百円ですみ、法律上の問題は何もない。ただしこの場合、キップの種類により手数料が異なり(指定席特急券、指定席グリーン券、寝台券、指定席券は320円、他は210円)、しかも320円の手数料のキップの場合、出発日の前日になると手数料が30%に跳ね上がるので注意する必要あり……3000円のためにここまでやる根性があるとすればですが。
いやいやもっと有効な手段があるぞ、と思いついた人もいます。
・ネットオークションに出品する。
残念でした。昨年、大阪で実際にこれをやった人がいて「利益目的の転売である」との理由で処罰されています。やはり計画立てて使用するのがなによりも肝要かと。目的はリフレッシュなので、積極的に旅行でもしてください。え、もっといい方法がある?
・旅行代理店の営業マンを職員室のすみに拉致し、こっそり現金化する
……立派な犯罪ですっ!
画像は「ベンジャミン・バトン~数奇な人生」
原作:スコット・フィッツジェラルド
監督:デビッド・フィンチャー
ブラピのメイクばかりが評判になっているが、相手役のケイト・ブランシェットの年齢不詳ぶりもたいしたものだ。彼女はSK-Ⅱの愛好者として有名。マックスファクターは彼女にいくら払ってもバチはあたらないだろう。宣伝効果絶大。
09年5月号「通勤の謎PART1」につづく。
第24話「しばしのお別れ」はこちら。
96年春の番組改編期にフジテレビがぶつけた総集編。これまでの24人の犯人が総出演(菅原文太のみ声の出演)という豪華版(……実はこの回で25人になるけどそれはおいといて)。
彼らがいかに「古畑任三郎」に出演したことを喜んでいたかがうかがえてうれしい。芸能界における田村正和の威光を感じとれるし、三谷幸喜という新しい才能に反応するのは芸能人として自然なのかも。
どうやって24人も出演させたかというと、行方不明になった古畑をさがすために、拘置所内の犯人たちから情報をえるというシチュエーション。うまく考えたなあ。
木で鼻をくくったような対応しかできない山城新伍、みずからの犯罪の緻密さを誇る唐沢寿明、しみじみ古畑を回想する小林稔侍などがそれぞれ笑わせてくれる。なかでも「あんなにひどい男はいないよっ(T_T)」と嘆く風間杜夫が最高。そりゃ、あんたはそう思うよな。それに、各回に対する三谷の自己評価がコメントされるかのような仕組みになっているのも楽しい。あの人のことだから鵜呑みにはできませんが。
24人がそろうことで、ひとつ気づかされることがある。犯人がみな健在なのだ。
当然のように思われるかもしれないが、犯罪物の定番である「犯人の自決」という方法を三谷幸喜は一度もとっていないわけ。サード・シーズンでは、ある回で犯人が死を望む場面も出てくるが、それでも古畑はその人物を死なせないのである。名探偵にとって、犯人の死は一種の敗北だし(聞いてるか金田一耕助)、あくまで論理的帰結を求めるこのドラマの姿勢がよく理解できる。
しかし計算できないのが西村雅彦(笑)。今泉慎太郎という役は彼の名をいっきにメジャーにしたし、毎週毎週殺人が起きるという、考えてみればひたすら暗い世界を救ってもいる。でもあまりにエキセントリックな役になったものだから、サード・シーズンにはもうひとりコメディリリーフを用意することになる。これが、まことに意外な人物だった。
【第26話 古畑任三郎 VS SMAPにつづく】
「28歳の革命」はこちら。
まるで「トラフィック」のときのように時制をあやつった前作と違い、後篇は静かに時系列を追う(ラストに、まことにおしゃれなフラッシュバックはある)。今回ははっきりとゲバラの敗戦を描いている。キューバ革命の成功の果実をむさぼることなく、ゲバラは次にボリビアに革命の花を咲かせようとする。しかし……
消耗戦の過程においても、ゲバラはあくまでゲバラ。山地に兵士を展開し、圧倒的に少数な戦力を背景に“しのぐ”。まさしく、ゲリラ戦だ。ボリビア共産党の支援がうけられず、農民も食料をなかなか供出してはくれない。日本における農地改革に似た政策が“革命政府”によって既に行われていたことが原因らしい。日本の農民が自民党支持層になっているのとほぼ同じ構図。
ゲバラにあるのは、カストロから送られた資金と、革命の神様という伝説のみ。そんな彼にとどめをさしたのが、自らの軍の退廃にあったあたりは哀しい。
革命と反革命の差はあれど、ゲバラ人気は土方歳三のそれに類似しているように思う。自らがたてた旗に殉じた男。ゲバラをとらえたボリビア軍は「今お前がこうしている間にも、フィデル(カストロ)は豪華なディナーを楽しんでるぞ」と吐き捨てる。この男に、革命=チェ・ゲバラは最後まで理解できない。
キューバを訪れたことのある読者によれば、あの国は昭和の日本を思わせるような、静かで、同時に貧しい国であるようだ。もちろんラム酒に代表される熱情の国でもあるとか。
キューバがこれからどのような変移を見せるかはわからない。でも、チェ・ゲバラという男の物語は死に絶えることはない。おそらくは彼の物語を利用しつくしたであろう(考えすぎ?)カストロが死んだあとでも。
監督ソダーバーグが、別にゲバラのファンでもなんでもなかったことが幸いしたか、静謐であるがゆえに心に残る映画。結果的に二部作になった構成もいい。ソダーバーグの映画なだけに、笑える特別出演もあります。いやそれにしたってベニチオ・デル・トロってどんだけすげー役者なんだ!
なぜユダヤは二千年の間迫害され続け、そしてこれからも迫害されるのか。どうしても身体が理解できないために図書館から借りる。
結論として、日本人には到底それは理解不能なことなのだとこの書は語っている。ユダヤ人の定義が、人種や宗教ではなく、“(非ユダヤ人から)ユダヤ人として迫害されること”であるあたり、見事で、そして納得はできる。わからないのだという悲しい納得。この定義を読者として肯定すると、多くの“ユダヤ本”の存在意義を否定してしまうわけだが。
ガザへの砲撃が、どう考えてもイスラエルを孤立に導くのが自明であるにもかかわらず、それを行ってしまう不思議の一端がそこにある。
エルサレム賞を村上春樹は受賞拒否すべきだという論議もある。しかしユダヤ人にはそれでは思いはとどかない。受賞して、批判する。態度として満点ではないか。
簡単に理解されるなら、これだけ長いこと迫害はされない☆☆☆★