事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「新選組!」 第二話

2008-03-20 | テレビ番組

20041123hino01 第一話はこちら。

 歴史ドラマを書いていると、史実とフィクションの配合に気を使うことになる。固定客の多い大河ならなおさらのことだ。

 初回に坂本龍馬と近藤勇、そして土方歳三が連れだって黒船を見物に行くという大嘘を書いて批判された三谷は、だから少し筆が萎縮してしまったかもしれない。

 でも後半は違う。モデルが無名であるため、どう描いてもかまわない滝本捨助(中村獅童好演)を狂言回しにすえ、もう書き放題。捨助を鞍馬天狗の原型に見立て、おそらくは下手人が判然としない某事件にからませる算段か。

 こんな小細工をしないと、新選組の末路など悲惨で見ていられないのも確か。山南敬助(堺雅人はこの役で一気にメジャー)の粛清に始まった同志の離反劇は、原田左之助(山本太郎)や永倉新八(山口智充)、そして藤堂平助(中村勘太郎)に及び、終いにはほとんどの隊士が死んでいくのだし。

Gohatto ここで活きてくるのが実際の隊士たちと同世代の連中を起用したキャスティングだ。

 珍妙なルールに自縛され、新選組が粛清につぐ粛清だったのは、やはり未熟な若者たちの集団だったからだろう。同じテロ集団だった連合赤軍との相似もそこにある。

連合赤軍だって、あの“総括”は、水筒がどうしたのといった些細な感情の行き違いから始まり、若さゆえに誰も自身の暴走を止められなかったのではなかったか。

 結局のところ【時勢を読めなかった二流の存在たちの悲喜劇】に終わらせないために作家たちの苦労はあるのだろうし、それゆえに新選組をめぐる物語は面白くもある。

 三谷ドラマは総じて視聴率は悪く、しかし最終回近くに一気に駆け上るのが恒例になっている。驚きなのは9月の時点であの遅筆作家が脱稿していることだが、やはり最終回は近藤の処刑シーンになるんだろうか。

 個人的には、五稜郭の土方(いいぞ山本耕史!)の最期まで見届けたいものだ。だってさー、香取慎吾には悪いけれど、近藤勇ってどう考えてもただのぼんくらで、新選組はやっぱり土方のもんじゃないか?

第三話へ続く!

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「新選組!」 第一話

2008-03-20 | テレビ番組

Shinnsenngumi01 2004年9月まで、わたしはこの「新選組!」をリアルタイムでほぼすべて見ていた。これはわれながら(いくら三谷ドラマとはいえ)えらいなあと思った。

およそTV連続ドラマというものの視聴習慣を失っていたわたしは、しかしこの“大河ドラマ”にはのめりこんでいたのだ……

 ふう。今回も堪能。おそらく長丁場のなかでも最もきつい回になるのではないかと思っていた勘定方河合の切腹。まさかこんなにおしゃれにまとめてくれるとは。

 その河合を「ピンポン」で怪演した大倉孝二が演じているように、相島一之、八嶋智人、小林隆(古畑任三郎で巡査をやったあの人ね)、DonDokoDonの二人、そして山本太郎など、およそ今までの大河ドラマでは考えられないキャスティングが弾けている。小劇場出身者とお笑いの合体。よくよく考えれば血なまぐさい暗いお話の連続なので、この配役は必然かとも思うのだが、昔からの大河ファンには不評だろうなあ。

 さて、脚本の三谷幸喜は「HR」(フジ)で、場面転換なしに一発生撮りでやるという何もそこまでな枷を自らに課す暴挙に出たのだが、今回もまたやっている。

①ナレーションを一切入れない。

②一話の物語はある特定の一日しか描かない。

これがどれくらい無茶かというと、およそ歴史もので時代背景をセリフだけで説明しようと考える方がどうかしている。②の方はさすがに近ごろギブアップしているようだが、こんな不自由さがむしろ三谷のモチベーションになっているのだとすれば、なんとも因果な性格というしかない。

Mitanisatoh  彼が毎週朝日新聞に載せているエッセイによれば、大河を一年間の長期に考えるから大変なのであって、13本のドラマを4クール書けばいいのだと考えることにしているらしい。

 そしてその構成はなるほど露骨に視聴者にも判別できるようになっている。7月の池田屋事件を境に、まるで違うドラマになっているのだ。

 前半を引っぱったのは、誰が何と言おうと芹沢鴨を演じた佐藤浩市。単なる酒乱の暴れん坊だったはずの芹沢を、小心さを隠すためにプリテンドしている哀しさまでにじませて、佐藤の演技は完璧だった。お父さんが映画で同じ役をやっていたらしい(わたしは未見)けれど、もう芹沢と言えば佐藤である。鈴木京香も愛人顔の魅力炸裂。この二人のからみはよかったなあ。で、後半は……おっと第二話に続きます。

コメント (2)
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「チャイナタウン」Chinatown('74)

2008-03-20 | 洋画

Chinatown   ここで告白。わたしが生涯を通じて愛する女優がいることを。それはフェイ・ダナウェイ。

 中学生の頃、今は酒田大火とともに消え去った名画座シネサロンで「俺たちに明日はない」(‘67)を観ていたときのことだった。

 オープニング、怠惰な日常を送る女が半裸でウォーレン・ビーティに出会う場面があり(はっきりとは描かれないがマスターベーションをしていた設定らしい)、その瞬間、横っ面をはりとばされるように「あ、これが大人の女なんだ!」と気づかされ、以降、彼女のことを冷静に観ることができなくなった。

 よくよくみればそんなに美人ではないし、身体だって(顔も)骨張っている。しかし冷徹にして激情を秘めた女性をやらせたら彼女の右にでる女優はいない。いてもわたしは認めない(笑)。

 全盛期は60年代後半から70年代の「華麗なる賭け」(‘68)「タワーリング・インフェルノ」(’74)そしてオスカーをとった「ネットワーク」(‘76)あたりか。一番美しかったのはロバート・レッドフォードと共演した「コンドル」(‘75)だと思う。

 彼女のキャリアの頂点は、しかしこの「チャイナタウン」(’74)だ。

 私立探偵の事務所を訪ねるわけありの女を、匂い立つような美しさで演じている。第一候補だったジェーン・フォンダではこの味は出ないだろう。若い頃は、あまりに設定が決まりすぎていてアメリカン・ハードボイルドのパロディかとさえ思ったが、30年経って見直すといかに凄い作品だったかと今さらながらに感服する。古典、と呼ばれる資格十分。豊潤な映像、耳から離れないテーマソング(追悼ジェリー・ゴールドスミス)、みごとな脇役の演技(ジョン・ヒューストンが魚を食べるシーンは最高)……そして主演のジャック・ニコルソンの色気ったらもう。

 思えば後年、「鼻翼を切られる私立探偵」(切ったチンピラ役は監督のロマン・ポランスキーがカメオ出演)が色んなところで引用されていることで、この映画がいかに愛されているかに気づくべきだった。なにゆえに「チャイナタウン」というタイトルなのかは30年経ってやっと気づきました(ラストのセリフに注目)。これこそ贅沢な映画だ。もう1回観ようっと。

Faye_dunaway ……08年現在、ポランスキーは巨匠となり、ニコルソンはアカデミー賞授賞式にかかせない“ハリウッドインサイダー”となったようだ。そのことは純粋にめでたいのだけれど(本当に、そう思っています)、製作者のロバート・タウンだけはねぇ。まもなく彼の著作「くたばれ!ハリウッド」も特集します。

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「華氏911」( Fahrenheit9/11 '04)

2008-03-20 | 国際・政治

「見だが、きんなのあの映画。オレ、ねぶらんねぐなたけぜ!」
(見たか、きのうのあの映画。オレ、眠れなくなっちゃったぜ)

Fahrenheit911 高一のとき、クラスメイトが興奮しながら語った映画は、日テレ「水曜ロードショー」で放映されたアーサー・ペンの「逃亡地帯」。アメリカ中南部の、保守的な住民の偏狭さを描いたこの映画に、彼は高ぶりを抑えきれなかったのだ。

 そんな彼は、のちに史上最もいいかげん(笑)と評される応援団長になったが、中年になった今、マイケル・ムーアが『ブッシュのアメリカ』の虚飾を剥ぎまくる「華氏911」を見たらなんと言うだろう。

 多くの批判を浴びているように、確かにムーアのやり口は汚い。爆撃によって手足が吹き飛んだイラクの子どもの映像のあとに、いきなりブッシュのアップを挿入したり、数多くのコメントからチョイスして、その発言に違った意味合いを持たせたりしている。まるで後出しジャンケンのようだ。

 アメリカに銃犯罪が多いのは、その臆病さのせいだと喝破した前作「ボウリング・フォー・コロンバイン」の方が数段出来は上だろう。

 でも、そんなルール破りをあげつらうことで、ブッシュ的なるものに対抗できるのか。愛国、自由、民主主義の守護者、世界の警官……アメリカが自らを飾り立てる言葉は一種の宗教的陶酔を含んでいる。これらに冷水を浴びせるために、情緒的ルール違反はむしろ必要な作業だったのではないかとすら思う。

 それに、ブッシュ批判連発の前半が退屈なのに比べ、米軍兵士の構成を支えているのが貧困層だと検証する後半の冴えはみごとだ。

「なぜ息子はイラクで死ななければならなかったの?」

とホワイトハウス前で号泣する兵士の母親の痛みを、少なくとも真っ先にアメリカ追従の手を挙げた日本人は理解しなければならないはず。

 戦士を鼓舞する有効な言葉すら失った無能な王に、アメリカが、そして世界がどうしてここまで踊らされなければならないのか……ムーアの憤怒は、ブッシュ個人よりも、むしろそんな体制に向けられているように思う。その意味で必見。今夜は、ちょっと眠れそうにない。

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グリーンハウス再建計画 ページ14 ~ 佐藤久一リプライズ

2008-03-20 | 映画

Greenhouse02 ページ13佐藤久一特集、事務職員部報版はこちら。
今度はメルマガバージョンです。

グリーンハウス再建計画」の一環として、この本にふれないわけにはいかない。酒田だけでなく、県下で大ベストセラーになっている。それどころか、北海道に住んでいる義姉が妻に「すごい本があるのよ!宅急便で送るから!」いや亭主が既に買ってますから。

 部報でふれたように、世界一の映画館→酒田グリーンハウス、日本一のフレンチレストラン→ル・ポットフー&欅をつくりあげた男、佐藤久一と、酒田という街のあまりの相似にたじろぐ。

 小都市の映画館を(世界一はオーバーにしても)一流の社交場に変貌させ、東京に移り住んだことをきっかけに料理の世界に耽溺。貪欲に吸収した知識と舌で、今度は酒田に当時としてはきわめてめずらしい存在だったフレンチレストランを、何はともあれ定着させた男。

 しかし反面、佐藤は女性関係のもつれから酒田を逃げ出したのであり(このあたりは、酒田出身の某経済評論家の経緯と似ている)、ル・ポットフーが赤字続きだったのは佐藤に“経営”という発想も才能もなかったからだ。その意味で、長男である久一に跡を継がせなかった蔵元「初孫」の選択は正しかったのだろう。次第に彼は酒に溺れ、高い理想と健康を失っていく。

 冷たい言い方をすれば、佐藤の一生は放蕩息子の典型だと言える。しかしその放蕩は、興行主、マネージャーとしてのあふれるセンスと背中合わせでもあった。だから彼が忘れ去られたのだとすれば(年長の酒田人たちは決して彼のことを忘れてはいないが)、それは街として彼の放蕩を受けとめきれなかった酒田の方に非がある。酒田には、そんな器、そんな活力がもう残っていなかったのだ。

 しかし、世界一の映画館と日本一のフレンチレストランが存在したという事実は消えない。回転扉の向こうにきらびやかな映画の世界があったという記憶はわたしのなかに今も鮮明だし、離反したとはいっても、佐藤とともに酒田に一流のフランス料理をもちこんだシェフは今も後進に指導をつづけている。街の力とはそんなものではないだろうか。名が失われたとしても、佐藤久一が残したものは、街のいたるところに今も息づいている。

もちろんページ15に続きます。

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グリーンハウス再建計画 ページ13 ~ 佐藤久一

2008-03-20 | 映画

Greenhouse01 ページ12はこちら。

酒田グリーンハウス再建計画の一環として、県教組事務職員部報で特集した佐藤久一のお話を。

「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」
                                      岡田芳郎著 講談社刊

 世界一の映画館→酒田グリーンハウス、日本一のフレンチレストラン→ル・ポットフー&欅をつくりあげた男、佐藤久一と、酒田という街のあまりの相似にたじろぐ思いだ。

県下有数の醸造元「初孫」の長男として生まれ、あふれるセンスと熱情で宝石のような映画館とレストランを地方で花開かせても、自らの放蕩によってそのいずれをも失ってしまう美貌の男。かつて港町として栄華を誇っても、大火と都市計画の失敗によって地盤沈下がとまらない酒田。大火の火元がグリーンハウスだったのは皮肉きわまりない。

しかし佐藤は決して忘れ去られたわけではない。わたしより年長の酒田人は、彼のことを常に懐かしげに語る。佐藤の去ったあとのグリーンハウスとル・ポットフーしか知らないわたしは、そのことがちょっと悔しい。

 わたしの接点といえば、初孫一族の同級生の娘から株主優待券を毎月三百円で買って、せっせとグリーンハウスに通いつめたことぐらいだ。金券ショップ高校生(泣)。

つづきはページ14で。

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SWING GIRLS('04)

2008-03-20 | 邦画

Swinggirls   馬鹿にしようと思えばこれほど楽な映画も珍しい。
・企画は「ウォーターボーイズ」の二番煎じ。
・ほとんどのギャグが上滑り。
・脚本にもうひとつひねりがないため、“子ども嫌いの教師が教え子への愛にめざめる”サブストーリーが効いていない。
・ガールズ&ア・ボーイの演技が素人同然(ほとんどが素人なんだから仕方がないとはいえ)。

実際、矢口史靖の演出は下手くそもいいところ。「ウォーター~」は、二度見るとよくわかるが、はっきりと不出来な映画といってよかったし、多少ましになっているとはいえ、今作も完成度は低い。
でも、この映画には『男の子のシンクロナイズドスイミングを女の子のビッグバンドジャズに置き換えた青春映画』以上の“何か”が確実にある。

食中毒で吹奏楽部がダウンしたため、とりあえず補習をさぼることもできるし、と始めたジャズなのに、吹奏楽部が帰ってきた途端お払い箱になり、強がりながらも号泣してしまう彼女たち。なんでこんなに一生懸命になっているか自分たちでも理解できない……十代でなければおよそありえない瞬間をみごとに画面に定着させているのだ。キャスティングの貢献も大きい。主演の上野樹里(テナー・サックス)や豊島由佳梨(ドラムス)など、有望な新人がこの作品をジャンプ台にスターになるだろうが、いちばん最初にブレイクしそうなのがメガネ美女本仮屋ユイカ(トロンボーン)。いきなり朝の連続小説のヒロインに抜擢とは。

Swing_girls_c 山形県人としていろいろと考えさせられる部分も。矢口が標準語で書いた脚本を、フジテレビのわれらが武田祐子アナが山形弁に訳したら、訛りすぎて字幕が必要なため、しかたなくもっと柔らかい置賜弁にしたってか(笑)。そしていつも見る山形の風景が、これほどまでに美しいとは。いい意味で部活そのまんまな映画。でもさー、隣の学校の事務職員から「ウチの親戚の爺さんバスの乗客の役で出っだなよ。見で来てのー」そんなもん判別でぎねーずっ!

※2008年現在、この映画から飛び出した少女たちの活躍は予想以上。のだめで月9の主役をはった上野樹里、近年最高の(視聴率は低いけど)朝ドラ「ちりとてちん」の貫地谷しほり(トランペット)……矢口監督の、少女たちを見る目だけは確かだったのだ。

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「映画プロデューサーが語る“ヒットの哲学”」原正人

2008-03-20 | 映画

Haramasato 原正人、という名前を、おそらくは映画のエンドクレジットで見たことのある人は多いと思う。洋画配給会社ヘラルドの最強の宣伝部を率い、「エマニエル夫人」「カサンドラ・クロス」「バラキ」など“お安い”映画を、言い方は悪いが観客をだまくらかして大ヒットさせ、製作側に転じてからは「失楽園」「戦場のメリークリスマス」「リング」などの問題作に関わり続けた人。

この書では、その裏側をこれでもかとさらすと同時に(自慢話だけではない。大赤字になった「乱」の反省もふくんでいる)、日本映画の採算分岐点はどのあたりかなど、ビジネスとしての映画を考察している。その意味で、業界志望者にとって最適のテキストなのだけれど、それ以上にひたすら面白いネタが満載。トリビアふうに紹介してみよう。

・わずか数千万円の仕込み原価だった「エマニエル夫人」の売り上げは16億円。その年のヘラルドのボーナスは二十ヶ月分。世に言う“エマニエル・ボーナス”。

ゴダールの「女と男のいる舗道」の原題は「人生を生きる」。トリュフォーの「突然炎のごとく」の原題は「ジュールとジム」。

Sylvia_kristel0017 ・「小さな恋のメロディ」はイギリス本国では劇場公開されず、テレビのみで放映された。

・「戦場のメリークリスマス」の、ビートたけしがやった軍曹役は、当初緒形拳に、坂本龍一が演じた将校役は滝田栄、デビッド・ボウイの役はロバート・レッドフォードにオファーされた。

・「乱」においては、仲代達矢の演じた役は三船敏郎、井川比佐志の役は高倉健にアプローチされた。

・「風の又三郎 ガラスのマント」の監督は、当時「スワロウテイル」にかかりきりだった岩井俊二にオファーされた。

・「失楽園」の凛子役を演じた黒木瞳の心配は肉体的なこと。いざとなったら監督の森田芳光に「こんな裸でいいですか」と見てもらおうとまで覚悟していた。

……やっぱり、この業界は面白いや。

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「ハイ・フィディリティ」HIGH FIDELITY('00)

2008-03-20 | 洋画

Highfidelity 自己憐憫・自己愛・自己中心的……主人公はこう形容するしかない。とにかくしょーもないヤツなのである。中古レコードショップを経営しながら、女から女へ渡り歩き、ガールフレンドから別れを告げられると逆上し、自分のどこが悪いのかを昔の女たちにききにいく厚顔さ(現代版「舞踏会の手帖」)。自分の浮気は棚に上げ、彼女が他の男と寝たことをいつまでも責め続ける……えーと、開き直るようで申し訳ないが

でも男ってこんなもんだ。

 男性諸君なら心当たりがあるでしょうや。女性にしたって自分とつきあってきた男たちには、こんな傾向が確実にあったでしょう?
 そしてこのジコチューなロックマニアである主人公の最大の欠点は、なんでもトップ5にしてしまうことだ。『失恋の痛手トップ5』(現在の失恋が“赤丸急上昇中”ってのには笑った)、『彼女のお父さんのお葬式に似合う曲トップ5』(うわ!ゴードン・ライトフットの「エドマンド・フィッツジェラルド号の難破」THE WRECK OF THE EDMUND FITZGERALDまで)とか。要するに子どもなのである。

 こんな、男の幼児性を許せる人なら、ほんの少し苦いラストはお気に召していただけると思う。この男は徹底して成長しないが、しかしそれゆえの美点もまた、存在するはずなのだ。原作は「アバウト・ア・ボーイ」(題名に反して、二人の“少年たち”の物語だった)のニック・ホーンビィ。大人になれない中年男を描かせたら天下一品。

 レコードショップの店員ジャック・ブラック(スクール・オブ・ロック!)とトッド・ルイーゾがひたすらおかしいし、恋人役イーベン・ヤイレの美しさには息をのむ。彼女、オレの心のトップ5に、確実に入るなあ。

Ibenhjejle01 ※もちろんこの映画の最大の魅力は音楽にある。娘へのプレゼントとして「心の愛」を買いに来た客に「娘さんはこんな駄作聴かないにきまってる!」と決めつけたJ.ブラックには笑ったが、それでもスティービー・ワンダーはサントラにちゃんと入っている。大人である。それと、ちょっと意外な大物ミュージシャンが特別出演しているのでお見逃しなく。いやーびっくりした。

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「ららら科學の子」 矢作俊彦著 文藝春秋刊

2008-03-20 | 本と雑誌

Lalalakagakunoko  昔、ALTとなぜか文革の話になる。
「ええっとぉ、文化・大・革命だから……グレイト・カルチュラル・レボリューションかな。まさかね。」
「いいえ、当たってます。The Great Cultural Revolutionです。」
「ほお!?」

 まず、このコラムを読んでもらおう。

湯浅学さんのコミック教養講座
少年レボリューション/ダディ・グース

 六〇年代末から七〇年代初めに世に送り出された作品、繰り広げられた言動は、現在も折に触れて、その頃を実体験して知る者からその子どもたちに至るまで、多くの人に影響/衝撃/感動を与えている。
 全共闘世代、と一括(くく)りにしようったってそうはいくか、という気骨や意地や強引な説得力を、当時いわゆる“若者”だった人々は持っている。少なくともかつては多くの“全共闘世代”がそう感じさせた。
 本書の作者は六八年に十七歳でデビューし、七〇年代中頃、すうっと漫画界から消えた。作品の衝撃は一部で語り継がれて来た。語られるばかりで再読が難しかったが、三十数年ぶりに書店の棚に蘇(よみがえ)っていた。
 アメリカン・コミック的描線でドメスティックな“闘争”が描き出される。政治行動がスラップスティック(ドタバタ喜劇)と化す。東大闘争が『マクベス』を模して戯作(げさく)化された大作やゴダール風恋愛ドラマ、日米安保喜劇もある。もじりやサンプリング(引用)が乱舞する快感。月光仮面と佐藤栄作とスヌーピーとその他大勢が縦横無尽に合唱する混沌(こんとん)のオペラが聞こえる。“革命”という言葉に(具体性はなくとも)熱意があった時代に、見る者の心を撫(な)で斬(ぎ)りにして疾駆した。物騒な風が画面から今も吹きつけてくる。
 この“革命的漫画力”はむしろ、“気分はいつも戦争”な今だからこそ効く。 (評論家)

……こーんなオシャレな書評があるのか、と思った。朝日新聞の若者向け読書ガイドなのだが、わたしにはとてもマネができない。なぜなら、この書評のなかに一言もふれられていないことがこのコラムのキモだからだ。

 その、一度もふれられていない事実とは、ダディ・グースという幻の漫画家こそ、FM東京(今のTOKYO FM)で、深夜直前にオンエアーされていたマンハッタン・オプの脚本を書き(光文社文庫のシリーズはわたしの宝物……現在はソフトバンク文庫で復刊。さっそく買いました)、「神様のピンチヒッター」や「さまよう薔薇のように」などのハードボイルド小説でわたしを熱狂させ、週刊ポストの「新ニッポン百景」で無駄な公共事業を斬りまくり、この「ららら科學の子」で三島由紀夫賞をゲットした矢作俊彦のことであり、彼が大友克洋と組んでかっとばした大ヒット漫画が「気分はもう戦争」(双葉社)なのだ。ついでに言ってしまえば、この頃のダディ=矢作と、「ららら~」は一直線につながっている。だからこれは「ららら科學の子」の書評としても機能しているのである。おそるべき確信犯。うまいなあ。

Thewronggoodbye  大学紛争のさなかに文革まっ盛りの中国へ逃亡した男が、蛇頭の手引きで三十年ぶりに日本へ帰ってくる……作中で何度か明かされるように、これは浦島太郎やリップ・ヴァン・ウィンクルのもじりである。描写がうまいったら。

「煙草の自動販売機は、千円札が使えるようだった。書かれてある文字を全部読んだ。ちゃんと釣り銭も出る。」

「大きな白黒写真の埴谷雄高だった。平積みになった本のてっぺんでこちらを凝視していた。あの長い長い小説は完結したのだろうか。作家は当然、老けているはずだが、どの程度、老けたのかまったく判らなかった。ずっと以前からこんな老人だったような気がした。それは銀座の街並みと同じだった。」

「明け方、昔のドキュメンタリーの再放送で、彼は佐藤栄作がノーベル平和賞をとったことを知った。思わずベッドの上に跳ね起きた。たしかにあの首相だった。沖縄返還と引き換えに、アメリカに日本を売り渡そうとしていた男だった。(略)授賞の理由は、沖縄を平和裡に取り戻したことだった。一国のとても地域的なできごとに、なぜ国際的な評価が与えられたか判らなかった」

浦島太郎だからこそ見えてくるものを、これでもかと叩きつけてくる。
そしてそれ以上に、故郷とは何か、竜宮とは何処なのかを問いかける物語でもある。ラストのスマートさは比類がない。ぜひっ!

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