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人質の家族たちにいっせいに悪口雑言が投げつけられたのは、メディアのせいもある。読売と産経が事件発生の翌日にはすでに自己責任を掲げて彼ら人質の行動をいさめ、自衛隊の撤退が「あってはならない」としているし、同様にわたしもこの事態でかえって撤退への道は閉ざされてしまったと感じた。
しかしそんなことだけでバッシングが起こるものだろうか。わたしたち日本人のなかに、彼らを“叩きのめしたい”とする加虐的な気分はなかっただろうか。自分の子どもや姉が“生きながら焼き殺される”予感で苦しんでいる家族を、目障りだ、と吐き捨てたくなる気持ちがどこかにあったのではないか?
おなじみの藤原帰一の分析はクールだ。
「この人質事件で、もし武力救出っていうオプションが少しでもあったなら、特殊工作隊員で救出作戦をすべきだなんて元気な議論が出てきたと思います。だけどそれは出てこない、無理だから。どうにもならないから人質が悪いんだってことにされてしまう。」
「『ニューヨーク・タイムズ』は、これが日本のお上の概念だ、お上に-ローマ字でokamiって書いてましたけど-逆らってはいけないという日本人の心性が現れたものだって書いてました。もう偏見丸出しの記事だと僕は思いましたけれども、だけどその通りじゃん(笑)。」
……そしていつのまにか状況はお上によって流され、信じられないことに人質家族は(他に選択肢はなかったにもかかわらず)チャーター機の費用を請求され、自衛隊は多国籍軍参加などというところまで来てしまった。
ほんとうはみんな気づいているはずなのに。目前でいろいろと議論がなされていても、結局はアメリカについていくしかないという諦念にいらついているわけでしょう?
もっと考えよう。この戦争が始まってしまったのは、無能な大統領が山っ気を出したからにすぎないし、泥沼化したのは占領統治のやり方が拙劣きわまりなかったからだ。この基本に立ち帰り、もうちょっとクールに、みっともなくとも、身の丈にあった日本の行き方を考えていかなければ。「わたしは死にたくありません」とたどだとしい英語で叫んだ隣国の人質青年の声に、虚心に耳を傾けよう。ほら、そこで「隣はどう考えてるか」なんて気にしないで。