事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「サウンドトラック」 古川日出男著 集英社文庫

2008-02-23 | 本と雑誌

Sound_track 2009年、ヒートアイランド化した東京。
神楽坂にはアザーンが流れ、西荻窪ではガイコクジン排斥の嵐が吹き荒れていた。
破壊者として、解放者として、あるいは救済者として、生き残る少年/少女たち。
これは真実か夢か。
アラビアの夜の種族』の著者が放つ、衝撃の21世紀型青春小説。

 村上龍の「コインロッカーベイビーズ」と「愛と幻想のファシズム」を読んだときの衝撃は忘れられない。近年の村上には言いたいこともあるけれど、少なくともこの二作だけで、彼は文学史に燦然と光り輝く。

 日本という“弛んだ”国家を、異様な出生の若者たちが、破壊し尽くし、あるいは純粋であるがゆえに危険な姿に変貌させてゆく……古川日出男の新作は、まさしく村上の二作をトレースしたかのようだ。

 そのうえ「愛と~」ではまがりなりにも近未来ポリティカルスリラーとしての体裁を最後まで保っていたのにくらべ、「サウンドトラック」は、首都東京を壊滅させるその手法が“映画”(!)と“ダンス”(!!)であるあたり、狂いっぷりは村上を上回る。

 カテゴリーは一応SFということになるらしい。ヒートアイランド化し、季節が「」と「非夏」しかなくなった東京の描写にはセンス・オブ・ワンダーが確かに存在する。しかし、主人公の兄妹が無人島でサバイブしながら成長する描写は徹底してリアルで……

 この破綻したといっていい構成の謎はあとがきで明かされる。実はこの大長編、三つの小説を合体させ、後半はほとんど書き下ろしなのだという。しかし古川は、単に合体させただけでなく、リマスターし、リミックスし、そしてラップ化して破壊力を増進させている。

 現代日本に絶望するあなたなら手にとってみるべきだ。東京を殲滅させる兄妹に、激しいカタルシスと羨望を感じるはずだから。傑作

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「スクール・オブ・ロック」The School of Rock('03)

2008-02-23 | 洋画

Theschoolofrock  無粋を承知でこの映画……期限付職員がロックを通してクラスを解放する……が山形県の公立小中学校では成立しない理由を列挙してみよう。

A)担任のけがで臨時職員を雇用することになるわけだが、残念ながら3週間程度の私傷病特休では代替職員を配置することは予算上できない。

B)履歴書と教員免許状の写し、及び健康診断書の提出が必須であるため、そう簡単に主人公のように他人になりすませない(まあ、それ以前に狭い世界だから)。

C)すぐにでも現金がほしい主人公には悪いが、学校には給料の週払いの制度がない。

D)なにより、バンドの練習をしているのに隣の教室に聞こえないほど施設は充実していない(笑)

……こんなイチャモンが無意味なぐらいにこの映画はよくできている。ロックジャーナリズムふうに言えば“ガッツ”があり、しかも “クール”だ。

 クラスの中の楽器スペシャリスト(特にベースの女の子の醒めた感じが最高)をピックアップして無敵の小学生バンドをつくるプータローいかさま教師(ジャック・ブラック)。しかしまわりの児童にもキチンと役割を与え(「きみはスタイリスト、きみはマネージャー、きみはローディ、きみは……グルーピーをやれ」わはは)、ラストの怒濤のバンドバトルでも、ちゃんと見せ場をつくっているあたり、教職員の一員として(笑)ちょいと感心。

Theschoolofrock2  ロックファンにもサービス満点。特に70~80年代にロックに耽溺してきた人間にはたまらん曲が並び、そのうえ女性校長(ジョーン・キューザック好演)が“酔うとスティーヴィー・ニックスのまねを始めてしまう”あたり、涙が出るほど笑った。

 ラスト、解放されたのが子どもたちだけでなく、彼らの親たちと校長、そして主人公自身であることをさりげなく見せ、まれに見る気持ちのいいエンドタイトルにつながる。最高のロック映画。イェイ。

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「正しい戦争」は本当にあるのか 藤原帰一著 ロッキング・オン刊

2008-02-23 | 国際・政治

Tadashiisennsou  引用して紹介しようと思ったけれど、至言の連続でどこをピックアップしたらいいかわからん。とりあえず、一度読んでみてほしい。渋谷陽一鈴木あかね(ロッキング・オン編集部。イギリス狂い)のみごとな突っ込みが藤原の政治学者としての提言に具体性を付与しているし、現在の政治状況がいかに危ういものであるかを感じることができる。

 なかでも、現実主義として武装なり改憲なりを訴える勢力の幼稚性を危惧するあたりは圧巻。「実際に北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ」「アメリカのイラク攻撃に日本が反対するわけにはいかない」とする、一見オトナの対応も、むしろ無用なリスクを背負い、政治的不安定性を加速させることでコストを増大させていると斬って捨てている。

 しかしひるがえって平和主義者とよばれる層のことも「ラブ&ピース」と言い続けることで平和が実現できるわけではない、と納得できる発言も。むしろ、戦争への可能性を「めんどうくさいけれど、ひとつひとつ潰していく」努力にしか平和への道はないというのだ。まあ、わたしたち一般市民がラブ&ピースと言い続けなければ意味ないけどさ。

 「下山事件」「さらば外務省!」とのつながりで日本人論をひとつ。この沸騰しやすい民族は、極端から極端へ走りすぎる。藤原は言う。《日本は〈平和〉という色眼鏡をもって世界を見る状態から、一転して軍隊に対する希望的観測でものごとすべて見る方向にひっくり返っちゃったんですよね。軍隊なかったら平和になるんだっていう極端な平和主義が裏返しになったみたいなね。世の中は危ないんだからガツンとやるしかないっていう。これは逆の軍事崇拝みたいな感じで、教条的ですよね》《憲法をベースにした平和主義があまりに実情と離れてしまったため、逆に軍事力に対する過度の楽観主義が広がっちゃった》

Fujiwara 北朝鮮問題で言えば、冷たいようだけれどよくよく考えれば拉致家族よりも核問題の方がはるかに大きな問題で、現実に他国はそう見ている。六ヶ国協議の重点もそこにあるのに、民族的熱狂による拉致問題への傾斜が、日本を孤立させ、行く末をむしろ暗澹たるものにしている。

 現実主義と平和主義で言えば、この二つが相反している状況こそが危うい。老練で卑怯な、そして金をうまく使うという見地からの創造的外交がこの国には求められているはず。つまり、うす汚く小狡い非戦志向といったところに着地しなければ、この国はいつまでも“すぐに逆上する子どもの国”でしかないとわたしは思っている。 

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「銀魂」 空知英秋著 ジャンプ・コミックス

2008-02-23 | アニメ・コミック・ゲーム

Ginntama011・2の三四郎」篇はこちら。

 ぎんたま、である。これがタイトル。下品きわまりない。しかし字面をながめると高尚な雰囲気を……全然感じませんか、そうですか。

 少年ジャンプ連載中のこのギャグ漫画の最大の特徴は、そんな微妙な雰囲気にこそある。下品に下品を重ね、それでもにじみ出る崇高さ。いや間違った。どんなにドラマティックに盛り上げても透けて見えるお下劣さ。こう評価された方が作者の空知は気持ちがいいだろう。とにかく空知はとてつもない照れ屋で、作品をほめられたりすると(うれしいくせに)かえって真っ赤になって否定してしまう。「こんな下品な漫画で悪かったよな!」「どうせオレの漫画にオリジナリティなんてねーよっ!」こんな具合。まあ、あくまで想像ですが。もっとも、彼は盗作疑惑の渦中にあり、あとの方のセリフはシャレにならない。

 広告畑出身者である空知の、そんな照れが銀魂の魅力でもある。情緒たっぷりに泣かせたり、破綻しそうなほどギャグで突っ走ってもよさそうなものなのに、空知はどんなときでも「寸止め」してしまう。ジャンプ連載者らしからぬバランス感覚。そこが、わたしは好きなのだ。

なにしろ会話が冴える冴える。屈指のロリキャラ、未成年の神楽(かぐら)がホストクラブでかますセリフはこうです。

「じゃあドンペリでも持ってきてもらおうかしら……ドンペリ持ってこいって言ったら黙ってミルクのひとつでも持ってくるのが気のきいた対応じゃなくて?ホントにミルク持ってきてどうするのよ。ホント使えないボウヤたちネ。私がミルクぐらいでおさまる女だと思って?もう大人なの。もうオロナミンC飲めるの。私の昔の男がね……オロナミンCはガキは飲んだらダメだって。大人でも一日一本しか飲めないってよく言ってたわ。あら、いつの間にか二本も空けちゃった」

 こんな意識的な感覚をもったギャグ漫画家は、週刊連載という修羅場で早々につぶれてしまうのが常だった。鴨川つばめ江口寿史はその代表。しかし空知はちょっと違う。弱音を常に吐きながらも、なおもギャグセンスが向上しているのだ。すごいぞ空知。でも絵はもうちょっと何とかならないか。キャラが全然動いていませんもの(笑)。

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「1・2の三四郎」の2

2008-02-23 | アニメ・コミック・ゲーム

123413 「1・2の三四郎」の1はこちら。

 柔道でそれなりの成績を残したものの、三四郎が高校卒業後に選んだ進路はプロレスだった。この、レスラーになるまでの面白さは無類だ。

 レスラーになるには身長が足りないと揶揄する友人に
「そーんなもん精神力で伸ばすわい!」これ、名言ですな(笑)。そして実際に背を伸ばしたのには笑ったなあ。

 三四郎が弟子入りしたのは、かつて壮絶な悪役として名をはせ、現在は保育園の園長をしながらマット界への復帰をねらう桜五郎。彼がさずけるトレーニングのハードさで、プロレスラーがいかに強靱な存在なのかを教えられた。しかし、それでも弟子たちは楽しそうなのだ。スポーツ漫画の最大の魅力は「とにかくのべつまくなしにそのスポーツをやっている」幸福感にあると考えるわたしにとって、古くからの友人たちや、マネージャーとなった志乃といっしょにプロレスに打ち込む三四郎の姿は快感。小林まことはその後、同傾向の「柔道部物語」(※)を描くことになるが、この幸福感はさらに増幅していた。

※女性に圧倒的な人気を誇る「柔道部物語」の主人公・三五十五(さんごじゅうご)は、「1、2の三四郎2」にたった一コマ特別出演している。

Judobumonogatari 実は前半にアントニオ猪木が登場する回があり、二度と会うことはないであろう云々と描かれていることから、三四郎をプロレスに向かわせるのは最初の構想にはなかったことがわかる。そしてそんなことが信じられないほど、新人タッグトーナメントでのコクのある展開があり、主人公である三四郎は

・腕に破滅の音がすることもなく
・背中を痛めることもなく
・真っ白に燃え尽きることもなく

精神的には何の成長もないままに爆笑のコマで終了する。本来、教養小説的に“成長する”ことが不可避な少年マンガで、この反省の無さは貴重。で、格闘技の醍醐味を続篇の「2」はなおグレードアップして描いていてまたしても快感。

 このマンガを読んだことのない人は幸せだ。講談社はそんな人のために早く再発するように!

次回は「銀魂」です。

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「1・2の三四郎」の1

2008-02-23 | アニメ・コミック・ゲーム

1234 ドカベン篇はこちら。

 この“学園マンガ”は1987年、少年マガジン誌上でこのようにして始まった。

 新潟県のある高校にひとりの女子が転校してくる。初日から遅刻しそうになった彼女は「パンをくわえ」「制服に袖を通しながら」全力で疾走する。そして出会いがしらにある少年と激突してしまう(少年はポルノ映画のポスターに気をとられて彼女に気づくのがちょっと遅れたのだ)。これが、三四郎と志乃の運命の出会いであった……おわかりだろうか。かつて相原コージ竹熊健太郎コンビが「サルでも描ける漫画教室」で“学園マンガの始め方”の典型としてあげたサンプルそのまんまなのだ。相原+竹熊コンビはギャグとしてステレオタイプを提示したわけだが、少年誌で連載を始めるにあたって、小林まことは安全パイとしてこんな場面から始めたのだろうか?

 まさか。

 シリアスとギャグの微妙なすき間をつくことでは天下一品の小林は、確信犯的にこんな王道スタートを選択したに違いないのだ。「少年マガジン」に脈々と受けつがれる「巨人の星」「愛と誠」などの梶原一騎路線を“そのままではあまりに恥ずかしいのでギャグでくるむ”精神が一回目から炸裂したのだろう。

 一読者としても、スポ根そのまんまの展開はさすがに受けいれづらい年令だったし(ひねくれた高校生だった)、時代もその“照れ”を歓迎した。この流れを最も大きく継いだのが「スラムダンク」だろうし、その意味もあって「~三四郎」と「スラムダンク」はわたしのMost Favorite少年漫画なのです。

 さて、三四郎は単行本として20巻出ていて、前半は柔道、後半はプロレス、ときれいに内容がわかれている。わたしのまわりもみな賛同してくれるのは「毎回毎回よくもまあこれだけ笑わせてくれるよなー」レベルだったこの作品が、歴史に残るほどの傑作たりえたのは、一にも二にもプロレス篇によるものだ。以下次号

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