ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版

コピーライター・ミュージシャン池谷恵司の公式ブログです。
私的メールマガジン「ほぼ週刊イケヤ新聞」のブログ版です。

菊地成孔氏が語った、ロック、ポップスが新曲を出す必然性が、今後在るだろうか、という問い。

2010年10月21日 23時03分43秒 | Short Stories

cure jazz
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主任講師である菊地成孔さんと映画美学校の音楽メソッドコース初等科で
最後の授業までサヴァイブした面々で
飲みに行ったのはもう一ヶ月以上前になるだろうか。


その時、菊地さんにいろいろメチャクチャオモシロイ話を聞いたのだが、
ま、こういうところに書けないものがほとんどなんだが、
真面目な話の中で覚えているのが、
CDが売れなくなってきた今、
ロックやポップスが新曲を出す意味があるのだろうか、という問いだった。

ロックやポップス、歌謡曲は、
新曲を作りレコード、CDを作り、それを売って
その著作印税が最も重要な資金源となるわけだが、
データがタダで流通してしまう今、
もう著作権印税を主たる収入には出来なくなる(なった)。

となるともう新曲を作って売って印税を利益とすると言うビジネスモデルは
崩壊してしまっているわけだから、新曲なんて要らなくなる。
演奏するだけのことだ。

これはじつはもうジャズが実戦していることで、
ジャズではオリジナルという概念はあるが、
主にはスタンダードなど、名作を演奏し、
アドリブでもって自己表現をするという形式に移行している。

同じようになるのか、あるいは
ただ単にwineer takes allで勝者のみが残る世界になるのか。

お手は正直言って、ジャズのように
上手い人、心を打つ演奏、歌をするひとが
実演(ライブ)を主たる収入もととして、
やっていけるような世の中になるといいと思うのだった。


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映画「ウディアレンの夢と犯罪」を見た

2010年10月21日 22時20分39秒 | 映画レビュー
名画座なんて何年ぶりだろうと思いつつ。
でも早稲田松竹と池袋文芸座は時折行こうと思う。

でも新橋に名画座があるとは思っていなかった。

あるのだ。

先日、新橋に所用があったが、
そこでやっていたのが、
ロードショーで見損なったウディ・アレン、ロンドン三部作の最後の作品。

いや、ウディ・アレンは高校の時にアニーホールを見て以来のファンなのでね。

詳細はこちらに。

wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A4%A2%E3%81%A8%E7%8A%AF%E7%BD%AA

なんつーか。

映画としてもの凄く面白いかというと微妙だが、
非常にアーティスティックで質の高い、文芸な映画だと思った。
ユアン・マクレガーもコリン・ファレルも素晴らしい芝居をしている。

人を殺すってのは、映画では今や普通でキスシーンより多いのではないかと思えるが、
現実社会で人を殺めるというのは、もの凄いことだし、
『悪人』でも同じテーマだが、
それがもとでどうにかなってしまう、というのは実際あり得るだろう。

イギリスが舞台ということもあって、
俺は唐突だがシェークスピアの「マクベス」を思い出してしまったのだった。
人を殺した記憶に殺されてしまう。

この映画の幕切れも意外なほどあっけなく、
それが帰ってリアリティがあるし、
映画としてのキレの良さも出していると思う。

ウディ・アレンは晩年にむかって、
文芸な巨匠になりつつあるのではないだろうか。

なんてね。

そいえば映画音楽がフィリップ・グラスでしたよ。



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