ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

裏銀座へ:素晴らしき紅葉

2017年12月04日 20時27分32秒 | Weblog
夏山シーズンも終わり、山は紅葉シーズンへと移り変わった。

「はて、どこに行くか。どの山に登ろうか・・・。」
地図を広げ、紅葉を愛でることと登山とを兼ねることのできるルートを探した。
行ってみたいルートは幾つかあったのだが、ふいに20数年振りに裏銀座へ行ってみたいという思いに駆られた。
「できれば水晶あたりまで行ければいいなぁ」などと暢気に構えていたが、裏銀座の紅葉シーズンはもう終わりかけている。
職場の仲間を誘い、双六、三俣蓮華、そして鷲羽の往復ルート計画を立てた。
メンバーは夏に劔に行った仲間と同じで、AM君とKMさんとの三名。
初日は双六のテント場までであり、そこからだと水晶までの往復はかなり厳しく、鷲羽までの往復と決めた。

10月10日、仕事を終えてから合流し、劔号(自分が勝手に名付けた我が愛車の別称)で一路新穂高温泉まで走らせた。
車中での仮眠は僅かに数時間だけだったが、目覚めた時の太陽の眩しさが嬉しくてモーニング珈琲はことのほか美味かった。


今日これから自分たちが登る方面の山並みが輝いている。
「紅葉もいいけど、汗かくかも・・・」

この予感は的中していた。
事実、薄手のトレッキングパンツであるにもかかわらず、裾をまくし上げ肌を露出しながらの登攀となった。

登山届けを提出し、新穂高温泉を出発。
しばらくは林道の中を緩やかに登って行く。

ここは標高1200m程度だが、紅葉はまだ十分に楽しめた。
うる覚えの登山道を歩きながら、右に左に点在する朱色黄色の葉に目移りしっぱなしだった。

ここから槍ヶ岳方面への分岐点辺りまではのんびりムードだが、そこから先は徐々に勾配がきつくなり、岩場の登攀へと変わる。
厳しくなってくることが分かってはいたが、森林限界線を越えるまでの樹林帯だけに許された大自然のグラーデーションに満足していた。


この青空。
やはり今日は暑くなりそうだが、明日以降は天候の悪化が見込まれる。
おそらくはガスの洗礼も受けるだろう。
だから今日だけでも年に一度のこの時季を楽しもう。


ほどなくして今日最初の休憩ポイントである「ワサビ平小屋」に着いた。

恥ずかしながら既に喉がカラカラだった。
小屋の外には天然の水で冷やされた飲み物が売られていた。
スタッフに聞くと、売っているのは外で冷やされている物だけだそうだ。
「なるほどね。もうすぐ小屋を閉めるし、今更仕入れることはしないよなぁ。」
商品の数は少なかったが、朝からコーラを買って飲んでしまった。


「小池新道」と思われるルートが見えてきた。
テントを背負ったザックの重さが身に浸みる登攀となるだろうが、この紅葉と青空に癒されながらの登攀が不思議と楽しみだった。

ところがだった。
この辺りから急に古傷の左膝の痛みが出始めた。
(おっと、勘弁してくれよ。せっかくの本番当日になって何故疼くんだ。」)
まだはっきりとした痛みではなく、この程度の疼きだったら問題ないだろうと思い仲間には言わなかった。

途中、多くの下山する人たちとすれ違い、写真を一枚お願いした。

バックに見える稜線は、おそらくは槍ヶ岳へと通じる西鎌尾根だろう。
もう何年どころか、何十年も通っていない稜線だ。

それにしても暑い。
汗がしたたり落ちてくる。
だが、真夏の劔岳の時と比べれば、喉の渇きには明らかな違いがあった。
そして時折吹く微風でさへも、どことなく肌がひんやりと感じる。
やはり秋の北アルプスだ。


バックに見えているのは「抜戸岳」だろうか。
笠ヶ岳は更に奥になるので、おそらくは抜戸岳ではないだろうか。


相変わらずの痩躯だが、劔を制しただけあって自信に満ちているKMさん。
もう完全なる「脱・山ガール」だ。


西に見えるルンゼをバックに撮ってもらった。

あのルンゼを見た瞬間、池ノ谷ガリーを思い出した。
「そう言えば、あんな感じだったなぁ。」
「えっ、何がですか?」
「北方稜線の池ノ谷ガリーだよ。おそらくはもう少し急だったと思うけど、ガリーによく似ているんだよ。」
「人間が登るところじゃないですよ(笑)。」
KMさんは笑っていたが、その気になればKMさんだって登れると思う。
何故なら彼女は既に「劔人(つるぎびと)」だからだ。

この先には「秩父沢」というポイントがある。
よくは覚えていないが、水場の休憩ポイントだったような覚えがある。

樹林帯の中を出たり入ったりの登攀ルートが続く。
気にしていた左膝の疼きは、少しずつ痛みへと変わってきていた。