ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

劔岳リベンジ「コロナ禍の中で・・・」

2020年12月01日 23時17分04秒 | Weblog
別山乗越で二人と別れ、劔沢へ向けて下り始めた。

この辺り一面は夏であれば高山植物(花)の宝庫であり、一面チングルマ、ミヤマダイコンソウ、ハクサンイチゲ、コイワカガミ、ミヤマキンポウゲ、シナノキンバイ、タテヤマリンドウなどの色とりどりの花で埋め尽くされている。
初めて訪れた時には「こんなお花畑が本当にあるんだ!」と、あまりの色鮮やかさに驚愕したものだった。


チングルマの名残。
目立った花はイワギキョウそれともチシマギキョウ程度だ。
今はもう秋の北アルプス。
花を愛でる時期は終わっている。


劔岳が徐々に近づいてくる。
見慣れた風景であっても、何度訪れても圧巻の全貌である。

程良く汗をかきながら劔沢へと下ってきた。
そして劔沢テント場が見えてきた。
「やっぱりこんなものか・・・」
そう思わざるを得ない閑散としたテント場だった。
これも新型ウィルスの影響なのだろう。

テント場を過ぎいつものあの赤い屋根がはっきりと目視できた。
「新平さん、今年も来ました。お世話になりますね。」
心の中でそう呟くと、急に腹が減ってきた(笑)。
そういえば、昼食はまともに食べなかったなぁと今更ながら思い出した。
「おかわり何杯しようか」と勝手に夕食のことを妄想しながら小屋へと入った。

一端ザックを下ろし、自分の部屋(寝床)を確認した。
「広く使えるなぁ」とちょっと嬉しくもなったが、この状況もコロナの影響であることは間違いない。
小屋の玄関に入るやいなや、真っ先に目に入ったのは消毒液の入ったボトルだったし、靴棚を見れば、例年の様なぎっしりと詰め合っていることもなく、余裕の靴棚となっていた。

部屋は本来であれば最大で一部屋10名なのだが、今年は6名までとなっていたし、寝床には仕切り板が設置されており、直接的な接触は一切無い。
もちろん小屋内はマスク着用が前提となっている。
その他にも例年にはないルールやお願いが設けられており、運営の苦労が垣間見れた。

山小屋が存在するには当然その理由がある。
*登山者の為に宿泊として、或いは途中休憩として利用する。
*何らかの事故が起きてしまった時に救助として駆けつける。
*安全登山への道標となるべく、指導や案内、登山道の整備に当たる。
などが考えられるが、山小屋とてこの様な新型ウィルスによる対策は初めてであろうし、山小屋ならではの対策運営方法には四苦八苦したのではないだろうか。
もし事が起きてしまったら、病人の搬送はヘリ以外にはないだろうし、ましてや今年の夏は営業を諦めた小屋もあるのだから・・・。
だからこそ苦労をしながらでも営業してくれている、それだけでもありがたいと思う。
自分にとっての劔沢小屋は、いろんな意味で特別な存在でもある。
一つ残念だったことは、毎年スタッフとして来てくれているネパール人のアン・ヌル・シェルパさんはコロナの影響で来日できなかったそうだ。
楽しみにしていた再会だったが、また来年まで待つしかない。

シャワーを浴び終え、外へ出て劔を見た。
いつもであればTシャツ一枚で冷えた缶ビールを片手に見る劔だが、さすがに半袖では寒い。
ビールよりも熱い珈琲がほしいくらいだった。
明日は19回目の劔岳となる。
どんな山行となるのか・・・。

夕食の時刻となった。
食堂へと行き、指定された席に座った。
できたて熱々のメインディッシュが運ばれてきた。


大好きな焼き肉だ!
そしてカボチャのポタージュスープ。
ご飯おかわり三杯で満足の夕食だった。
だが、この食事においても当然ながらコロナ対策はなされていた。


本来であれば、30人程が入れる食堂なのだが、今年は一回の食事で9名程度で止められていた。
やや淋しい食事ではあったが、味そのものはいつもの通り大満足だった。
特にカボチャのポタージュスープは、ここはレストランじゃないかと思える程の美味だった。
さすがは元調理師の新平さん、味にはこだわりがある。
ごちそうさまでした。

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