ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

赤岳と横岳:地蔵尾根(クサリ設置に思う)

2017年06月06日 22時08分43秒 | Weblog
赤岳の頂上から先ずは展望荘の小屋まで下山する。
時間にして40分もあれば足りるが、それはあくまでも天候と雪質に恵まれた状況による。


雪山ならではのルートファインディングで、一直線にルートを取れればあっという間の下山となるだろうが、そうは簡単に許してはくれない。
右に左にと、ジグザグルートで下山しなければならなかった。
とりたてて難しいルート取りではないが、結構面倒くさかった。
「ここは真っ直ぐ行ってもいいかな・・・」と思えるポイントが幾つもあったが、やはり今日は一人ではない。
仲間のことを考えれば敢えて安全確実なルート取りをすべきだろう。


展望荘の小屋を過ぎ、もうすぐ「地蔵の頭」というポイントに来た。
明日通る予定の「日の岳」「ルンゼ」「二十三夜峰」あたりが十分に目視できる。
西と東の風がぶつかり合い、稜線を境にして鍔迫り合いをしていた。
時折ガスの隙間から見えるルンゼを指差し「明日はあのルンゼを下りてくることになるから」と説明した。
「ひぇー! あそこですか・・・。あそこを下りるんですか・・・。」
ややビビっているようだったので、ルンゼを見上げながらルート取りを説明した。
「おそらくはかなりの積雪で、場所によっては腰あたりまで埋もれることは覚悟した方がいいと思う。ルンゼを下る時のスタートポイントは東側になるけど、そこから西に向かって斜めにトラバースしながら下りれば大丈夫。一番気をつけることは真っ直ぐに下りないこと。スピードを出しすぎて真っ直ぐ下りてしまうと谷へ落ちてしまうから。大丈夫だよ。先ずは俺が先導するから、ゆっくり付いてくればOK!」

とは言ったものの、内心は不安だった。
「横岳手前のリッジ、鉾岳の西壁、他にもやばいポイントはあるもんなぁ・・・」
しかしそのことを口に出しては言わなかった。
「言えなかった」の方が正しいかも知れない。
何故なら、今現在を考えれば、このすぐ先にはナイフリッジが待ち受けている。
これ以上の不安を煽ることだけはやめた。

ほどなくして地蔵の頭へと着いた。
「ここから暫くは岩と雪のミックスルートだけど、西側を向いている分だけ雪が多いと思う。すぐ先にはナイフリッジがあるけど、絶対にリッジの南側(左側)は通らないこと。
落ちても俺も助けられないから見捨てて下りちゃうよ(笑)」
緊張をほぐしてあげようと笑いを誘ったつもりだったが、果たして・・・。

急斜面の岩稜地帯を下り、いよいよナイフリッジにさしかかった時だった。
「へっ? あれっ? なにこれ? なんで?」
拍子抜けしてしまうような光景が目に入ってきた。
なんと、ナイフリッジの直線ルート区間にクサリが設置されていたのだ。
しかもご丁寧に手すり状に設置されている。
あっけにとられる光景だった。


この画像には写ってはいないが、リッジの直線区間の北側(右側)には手すり状のクサリがご丁寧に設置されていた。

ありがたいとはこれっぽっちも思わなかった。
むしろ、ありがた迷惑でさへあった。
だからクサリには一切触れずに、クサリの左側を危険を承知で通った。
「不安を感じたらクサリに捕まって通って来て!」とだけAM君に伝えた。
彼もクサリは一切触れずに通過した。

******************************

これから綴ることは持論であって正論ではない。
反対意見を持っている方もいるだろうが、あくまでも「持論」ということで・・・。

この区間に手すり状のクサリを設置した理由は二つ考えられる。
(1)安全登山のために
(2)より多くの人に赤岳を登ってほしいために

(1)については理解できる。
この区間はそれだけ危険性が高く、滑落事故が起きやすいポイントであることは十分承知だ。
しかし、中には自分のようなへそ曲がりな登山者がおり、「余計なもの設置しやがって。こんなものいらない。危険さを乗り越えてこその登山なんだから。」と感じている輩も少なからずいるのではないだろうか。

さて、(2)についてだが・・・。
危険性の高い場所にクサリが設置されたことにより、いろんな事が起きてくる。
そのひとつに「あそこがクサリ場になってくれたおかげで、やっと赤岳に登ろうと決めることができたよ。」
と言って、より多くの人たちが赤岳を目指すことができるようになった。
これは夏山に限ったことではなく、冬山においても同じだろう。
「文三郎尾根は厳しいから、地蔵尾根を往復すればいい。しかもクサリがあるから大丈夫だ。」と・・・。

何が言いたいか。
つまり「技術、知識、経験が未熟な者でも少しだけ気軽に登れる山」になってしまったのだ。
より多くの者が登れるということは「未熟者も含めて」と言うことになってしまうのだ。
この危険性は過去の登山事故件数が確かな証拠を示している。

登山は趣味で行っている人が大多数であり、山岳会などには属さずに個人や友人仲間で登る人が殆どだ。
だからそれだけ未熟者が多くなってしまう。
技術や知識が義務化されている訳でもなく、あくまでも個人の趣味。
クサリ設置の情報が書籍やネットで広まれば、「よし、行けるかも・・・」と思う人が必ず増える。
たった一本のクサリが設置されただけで、未熟者がこぞって赤岳を目指す。
これじゃ事故が減るはずもなく、かえって増えるだけだ。
危険性が高かったからこそ、人を拒み、一定の者だけしか登ることができなかったのだと思う。

クサリを設置することが悪いと言っているのではない。
それにより逆の事象が起きてしまうことが、現実としてあることを見過ごしてはならない。