ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

鹿児島へ・・・9

2008年06月15日 00時14分48秒 | Weblog
天文館通りは、真夏の夜の熱気と人ごみでむせかえっていた。
ネオンきらめく繁華街。昼間に訪れた知覧とは別世界。
居酒屋風の店に入り、ビールで乾杯。
う~ん、先輩と酒を飲むのは何十年振りだろうか。もうそれだけで感激だった。
酒肴に「鳥刺し」が出た。これにおろしたにんにくをたっぷりとつけて食べる。これが実に美味い!
ビールの後は薩摩焼酎を水割りで飲んだ。正直これを楽しみにしていた。
酒は弱い方だが、せっかく鹿児島まで来たんだ。焼酎を飲まずしては帰れまい。

いろんな話をした。だがどうしても行き着く先は学生時代のバカ話(笑)。

我らが「雄飛寮」。それは吹けば飛ぶような老朽化した男子学生寮だ。
テレビ、扇風機の個人持ちは禁止。集会室にある唯一のテレビは、当然先輩を優先。
朝は6:30起床。点呼の後清掃。
外出時は「行ってまいります!」。帰ったときは「ただいま帰りました!」と玄関で怒鳴るのが1年生のしきたりだった。
(おぉ~懐かしい。だんだん思い出してきたぞぉ~)
風呂も当然先輩優先。一緒に湯船に浸かったときは先輩の背中を流す。
そう、knrairさんのでかい背中を何回、いや、何十回洗ったことか(笑)。
集会室で先輩方が麻雀をしていれば、煙草やジュースの買い出し役。「お~い、腰もんでくれ」と言われれば、たとえ真夜中でも関係なかった。
だが、雄飛寮には誇れるものがあった。
それは「自治と自由」だ。そして「寮歌」と「寮旗」があったのだ。
入寮日。自分の部屋を割り当てられた後、集会室に入った。正面には「雄飛寮」と書かれたでかい寮旗が。さらには後ろに寮歌の歌詞が書かれた布が貼られていた。
そして初めて寮歌を聞いた。歌い出しの前には、巻頭言、すなわちエールを切ってから声高らかに寮歌を歌う。
これには感動した。
だが、その寮歌を覚えるのが大変だった。(恥ずかしかった)。
朝食の後、大学のキャンパス中央で1年生全員で歌わされた。時には独唱だった。
ちょっとでも歌詞を忘れたり、間違ったり、声が小さかったりすれば大ごと。「元いぃ!!!」と先輩の怒鳴り声。
それが授業が始まるギリギリの時間まで何日も続いた。
当然他の学生達が校内に入ってくる。怪しい思想集団でも見るような視線が痛かった(笑)。
同じゼミの女の子に「大変ねぇ」と言われても、すでに声が嗄れてしまい、声にならない返事をするしかなかった。

毎年5月の第3土日。新入生の歓迎と、寮の団結を兼ねて「夜間歩行」を行った。
酒を飲み、物干し竿に寮旗を取り付け、それを掲げながら一晩中歩いて海まで行く。日の出と同時に海に向かい副寮長がエールを切り、寮歌を高吟する。自然と涙が出るほど感動ものだった。
2年になり、自分がこの大役を仰せつかった。

毎晩必ずと言ってよいほど、どこかの部屋で小さな酒盛りが行われ、どこかの部屋から音楽が流れていた。
金はないが、時間はある。厳しい先輩達だったが、共同生活とは、上下関係とは、そして自治と自由を教えてくれた。

2次会は先輩の行きつけのスナックで飲んだ。先輩の結婚式で、確かお色直しの後、入場の時にかかった曲「ff(フォルテシモ)」を歌った。
そして寮生活の話になったとき、こらえていたものがあふれ出てしまった。
こんなにまであの頃の話をしたのが久しぶりだったからか・・・
どうしようもなく懐かしかったからか・・・
どれほどバカらしくとも、かけがえのないあの頃だったから・・・
そのすべてだったからなのだ。

・・・巻頭言・・・
南黒潮の蕩々と流るるところ
西に日の本の都を仰ぎ
緑が丘にそそりたつは
我らが命の住み家「雄飛寮」なり
いざ唱わんから雄飛寮寮歌
いざまわんかな雄飛寮寮歌