ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

日本男子バレー北京へ!

2008年06月08日 22時14分09秒 | Weblog
ミュンヘンオリンピック以来、男子バレーはメダルから久しく遠ざかっている。
日本のレベルが落ちたとは思わない。世界が日本に追いつき追い越したのだ。
そして日本は取り残されてしまった。
ある意味、ミュンヘンでの金が「燃え尽き症候群」となってしまったと思っている。しかも取り返しのつかない燃え尽き症候群だ。
コンビバレー。時間差。一人時間差等々、かつて日本があみ出した攻撃だった。
考えて何かをあみ出すことは、古の時代から日本人のお家芸だろう・・・が、近代バレーにおいては、今後新たな攻撃方法をあみ出すことはきわめて難しい。
新たなルール改正でもない限り、それほど攻撃における発展は頂点に達してしまっていると考える。
ではどうすればよいのか。
「高さ」「速さ」「力」「技術」しかないだろう。
日本人であれば「高さ・力」は外国勢より劣る。これはDNAの違いだからどうすることもできない。
故に「速さ・技術」で勝負。さらには日々の生活から試合中に至るまでの「健康・体調・栄養管理」も重要だ。
そして最後に残るものは「精神力」。
今では死語となりつつある言葉だが、やはり「根性」「負けん気」はいつの時代でも絶対的に必要だと思う。
オリンピックに行きたいと思うのは、その気持ちが一番強いのは誰よりも選手・監督なのだ。
我々応援している人間ではない。彼等こそが最も望んでいることなのだ。

今回の最終予選では、男女ともに出場権を得ることができた。
それは素直に素晴らしいことである・・・が、最終予選にまで回ってしまったこと自体は決して喜ばしいことではない。
つまり、世界レベルでいう「Aクラス」の国は、とっくに出場権を勝ち得ている。
今回の大会は「Bクラス」内での結果と言うことだ。

北京では、今大会以上のハイレベルな国との対戦になることは必至だ。
さあ、どう出る全日本。

W杯アジア3次予選に思う

2008年06月08日 00時48分59秒 | Weblog
長年サッカーの審判をしていて思うことがある。
「ここはホームだから」「アウェイだから」ということで、審判がホーム寄りのジャッジをすること。
これだけは納得がいかない。
本来公平であるべきが当たり前の審判である。なにゆえホーム寄りのジャッジとなるのか。
また、見ている観客、そして選手、ベンチまでもがホーム寄りのジャッジをある意味当然、致し方ないと考えていること。
理解する気にはなれない。

次に報復行為。
相手に倒されて、あるいは勢い余って相手選手に突っ込んでしまい倒れる。そして立ち上がるときに偶然を装って相手選手に足を出す。
まるで子供だ。
今回の対オマーン戦における日本のFW選手がそうだった。
見ていて情けない「またあいつか。相変わらずだな。」
・・・ではすまない。フレンドリーマッチじゃないんだ。一戦一戦が負けられない戦いなんだ。それを本当にわかっていない愚かな行為だった。
(もちろんそいつは一発レッドカードだった。大馬鹿者が!)
体の接触プレーを避けることはできないサッカーだからこそ、より冷静さは必要となるのだ。

そして相手国オマーン。
これほどまでにサッカーを愚弄冒涜している国にサッカーを、スポーツをする資格など一切ない。ましてやサッカーの発展など永遠にありはしない。
時間稼ぎのシミレーション、すぐに倒れ込みピッチに横たわる。ハーフタイムが過ぎても全く気にせず、平気で遅れて出てくる。「ここは俺たちの国だから」とでも言いたげだ。
また、それが通じるサッカーそのものにも大いに疑問を感じるが、中東という国々は昔からそんなことを平気でやってきた国々だ。
「アジアの雄」と言われながら、決して世界レベルに至っていない大きな要因がそこにある。
長年の文化だからではない。子供じみた狡猾さをいい加減卒業しない限り、日本を含めアジアのサッカーの発展はあり得ない。