ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

萩へ・・・その1

2007年12月10日 00時59分42秒 | Weblog
長男が生まれた翌日、私はある計画を思いついた。
(「この子が大きくなって、私の言うことがわかってくれる年齢になったら、萩へ連れて行こう。萩へ行き、多くの史蹟を見せて話を聞かせてやりたい。」)と。

それから12年の歳月が流れ、小学校を卒業した平成15年の春。
息子を連れ、二人で下関と萩を訪れた。
あいにくの雨だったが、暖かな春の雨だった。
宇部空港へ着き、バスで一路下関へ。息子以上に胸が高鳴っていた(笑)。

途中下車し、先ずは「功山寺」を目指した。
そう、あの高杉晋作が維新回転のクーデターを起こすために挙兵した場所。
かつて「8・18の政変」で「七卿落ち」と言われ、軟禁状態だった公家の前で「今から長州男児の肝っ玉をお見せいたします」と言った寺である。

桜咲く庭の片隅に、目指すそれはあった。
高杉晋作の騎馬像。
真一文字の口。死を覚悟しての出陣の姿だ。
そしてバスを乗り継ぎ「東行庵」へ向かった。

正直、へんぴな所である。みやげもの屋が2軒あるだけ。
店に入り昼食を食べた。
せっかくなので「晋作うどん」を注文した。
高杉晋作が梅の花が好きだったことから、梅の花の形をした蒲鉾がのせてあるだけのものだが、味は西国風で関東とは違った美味さがあった。

事情を話すと、店の人は快く荷物を預かってくれた。
その事情とは・・・・・。

店から歩いて数分。小高い丘の上に登った。
奇兵隊士、もののふの墓標が数多くある中、何故か迷うことなく「東行庵」、即ち「高杉晋作」の墓に着くことができた。
遂に来たんだ。
12年前この子が生まれた翌日、一緒にここへ来ようと決め、いろんな話をしてあげようと。
息子と二人、線香と花をたむけた。
合掌し、心の中でつぶやいた。12年間心の中にためておいた想いを彼に話した。
そして息子にも。
どれだけわかってもらえたのかはわからないまでも、神妙な顔をして話を聞いてくれた。
今はわからなくてもいい。もう少し大きくなって、今日話したことを思い出してほしい。そして「これからどう生きるべきか」を考えてくれたらそれでいい。

周囲には、司馬良太郎氏が残した記念碑や、高杉晋作の辞世の句「おもしろき こともなき世を・・・」など、多くの石碑があった。
特に目を惹いたのは、伊藤博文が後に言ったあの名言「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し・・・」を記した碑文だった。
実はこの碑文がここにあるとは知らなかったのである。感動であった。
だが、更なる感動の出会い(発見)が萩で待っていようとは、この時は知るよしもなかった。

店に戻り、息子はいろいろと土産を買った。
高杉はもちろんのこと、「奇兵隊士」の古写真のポスターまでも買っていた。
あの時の嬉しそうな表情は今も忘れていない。
もちろん現在も、そのポスターは息子の部屋に飾ってあるようだ(笑)。

店の方にタクシーを呼んでもらい、近くの駅まで向かった。
そこから一気に山口県、いや、敢えて「長州」と書こう。
長州を縦断し、今夜の宿である「萩」へ向かった。


*写真は、高杉晋作の墓の前で合掌している息子です。今見ると実に幼いなぁ(笑)。