「英雄の書」を読んだ(後編)

2016年05月21日 00時05分00秒 | 生き方・人生観

▲<「英雄の書」の読後感想「後編」です>

君は、「孤独」を恐れるのだろうか。まさか、友達へのサービスのために、どうでもいい事に「いいね」を押していないか?脳は「孤」の時間を持たないと、世界観が創れないのだ。自分が何者か知るには、この世を自分独自の世界観で眺めなければならない。与えられた、誰かのそれでなく。
私の知り合いで、超一流のメイクアップアーチストは、超一流になる秘訣は「孤高である事」「いい睡眠を取る事」「栄養バランスのいい食事をする事」の3つを挙げた。この3つは、脳科学的に、あまりにも理にかなって素敵だった。睡眠と食事の話は、別の場で語ろう。今は、「孤高」だ・・・。こんな書き出しで、【第二章 孤高の章】が、始まる。

●脳の左脳は「顕在意識」と直結して、言葉や数字を操り、現実的な問題解決を行う領域。右脳は「潜在意識」の領域を主に担当し、外界の様々な情報を、脳の持ち主も知らないうちに収集し、イメージを創生し、世界観を構築する場所だ・・・。※以下、「脳」の解説が続くので省略する。

女性脳は、脳梁を行き来する信号が豊富で、男性脳の数十倍から数百倍と言われる。この「察しの力」と「臨機応変力」で、女性達は大切に思うものを徹底的に守り尽す(身辺の危険を未然に防ぎ、物言わぬ赤ん坊を無事に育て上げ、男達を健やかに保ち、家庭や職場を円滑に回しているのだ)。

●一方で、脳内に豊かな世界観を創り上げるには、ある程度、左右脳連携を寸断して、右脳や左脳の隅々まで信号を行き渡らせる必要がある。右脳が、その豊かな世界観を創生するには、感じた事を言葉や記号にしないまま、ぼんやりとする時間が必要不可欠だ。さらに、その裏側で、左脳の隅々まで信号が行き渡ると、世界観が理念になって行く。この時、脳梁を介する左右脳連携信号は、殆ど起こらない。というか、そこに電気信号を使う余裕がない。この状態の時、すなわち、世界観を創生し、理念を創り上げている時間、脳の持ち主は、ただぼんやりして見える。

●話しかけても生返事だし、目の前の人の気持ちや動きを察してあげる事も出来ない。本人自身も、「脳の中の出来事」を記号化していないので、自分の脳の中で、そんな壮大な事が起こっている事さえ知らない。つまり、天才と言われている人達は、家庭の中で使い物にならず、ただの愚図だと思われている事が多いのである。この能力がないと、宇宙論や経済学は生まれなかった。お喋りをしながら、周りの変化を察して動く現実対応型の脳と、現実世界とはまた別の世界観を創り出す未来創出型の脳。この2つがなければ、この世の中は動かない。人類の場合、前者は主に脳梁の太い女性脳が、後者は主に男性脳が担当している。そして、ひとつの頭蓋骨の中に、その両方を持つ脳こそが、一流になれるのである。


▲<近所の「ハナチョウジ」>

●豊かな世界観を持ちながら、必要な時に、右脳と左脳が素早く連携する脳を、人は「才能がある」「直観力が働く」「勘がいい」などと表現する。つまり、現実対応脳と未来創生脳のハイブリットこそが、英雄脳なのである。という訳で、日頃、左右脳連携を断って、左右脳内信号を隅々まで使う時間と左右脳連携をしっかりする時間の両方を持っている事。これこそが、英雄脳の創り方。英雄の理想の生活習慣です。

●左右脳の連携を断つには、他人の思惑から離れなければいけない。一日のうちの一定時間、人の思惑を気にしたり、事の成り行きを案じたりする事をキッパリ止めなければならない。日頃、他人に「あるある」「わかる、わかる」「いいね、いいね」と追随して暮らしていると、脳の感性が「大衆全体の平均値」に近くなる。こうなると、「反射神経上の予想外」を創り出し、周囲を感動させる事なんて、到底出来なくなる。

●だから私は警告する。SNSとは、一線を画し道具としてのみ使う事。他者の動向に心乱される質のある人は、SNSを断つのも一つの手だ。少なくとも、夜中のてっぺん(22時~2時)の間の使用は止めた方がいい。この時間は、ホルモン分泌の最盛時間。電子画面を凝視して、視床下部にストレスを起こす事は、そもそも勧められないのだ。視神経の後ろに自律神経を司る視床下部が、視床下部の後ろにホルモンの分泌命令を出す脳下垂体があるから、夜中のてっぺんに電子画面を凝視していると、眠りを創り出すホルモン(メラトニン)の分泌を阻害し、眠りの質が下がってしまい、疲れが残るようになる。翌日以降の発想力がプアになり、やる気や好奇心のホルモンも出にくくなるから、役立たずになって行く(男性ホルモンも枯れてしまう)。

●孤高の時間を持ち、独自の世界観を創る脳に変えたら、次は直観力。直観力を鍛えるためには、左右脳連携信号を、とっさに強く行うエクササイズが大事だ。それには、右脳のイメージ領域にあるものを、左脳の顕在意識に持ってきて恣意的な出力に変える事。その最たる訓練が、ダンスやスポーツなどの芸術や「術」「道」と呼ばれるものを嗜む事。西洋の支配階級の男達がダンスを日本の武士が書道や茶道を嗜んだのも、明日の戦場での直観力をチャージするための大事な脳のエクササイズだったに違いない。


▲<那覇市内「福州園」、松山通りに咲く「鳳凰木」>

●もう一つが、徹底した「他人思い」の癖をつける事だ。ヒトは、自らを滅して、徹底して他人を思う時、左右脳連携が激しくなる。他人の思いや事情をイメージ化し、顕在意識に繋げるからだ。ビジネスに関して言えば、顧客の気持ちになり切った瞬間に、使える直感が降りて来る事も多い。

●徹底した他人思いと、他人の思惑を気にする事は、180度違う。「他人の思惑を気にする人」は、結局のところ、ただの「自分思い」なのだ。人に迷惑をかけたくない?いやいや、本当は、人にとやかく言われたくないだけ。自分が「いい子」でない事に耐えられないだけ。徹底した他人思いの人達は、人の評価には飄々としている。

●他人の評価を自分の存在意義にしている人は、どうしたってタフになれない。人に叱られたら、人格を否定されている感じがするのだ。だから、叱られるのが怖い、非難されるのが怖い。この感覚が、他人の思惑を気にする人から、「自分」を失わせる。叱られる事から逃げる事だけを考えて、白も黒と言ってしまう。そのうち事が穏便にすめば、白も黒もどっちでもいいような気になってしまう。脳の中に「自分」が無くなり、よけいに、他人の思惑だけを頼りに生きて行く事になる。地獄の悪循環だ。

●かのスティーブ・ジョブスは、2005年スタンフォード大学の卒業式の講演で、こう言っている。「・・・皆の時間は、限られているから他人の人生を生きる事で時間を無駄にするな。教条主義の罠にはまるな。教条主義とは、他人の思考に従って生きる事。他人の意見に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。そして最も重要な事は、自分の心と直感に従う勇気を持つ事だ。心と直感は、本当になりたい自分をどういう訳か既に知っている。その他すべての事は二の次だ・・・」

●自分思いが止められたら、後は、直感に従えばいい。私達は、自分の人生を生きるために生まれて来たのだ。誰かの人生を生きるのは意味がない。ましてや、「大衆の総体」のような薄まった人生観で生きて行くなんて馬鹿馬鹿しい。現代の情報空間が見せてくれる「大衆の総体」なんて、本当はどこにも存在しない。「いいね」をくれた人達が、実際に君の新規事業に投資してくれる訳ではない。逆に、ネットで叩かれても、本当の友達は消えたりしない。文句を言う顧客ほど、対応を間違えなければリピートしてくれる。叱ってくれる上司ほど、いつまでたっても見捨てない。他人がどう言おうと、案外、怖くないよ。

●自我の境界がはっきりしない人が「自分」を意識しるのは難しいけど、「私が好きなもの」を基軸に、他人と自分の違いを知るようになれば、自然と自我の境界が出来る。思春期にロックやバイクに夢中になるのも、男子が自我を立てるための大事なエクササイズだ。親に眉をひそめられるものほど効果がある。

●そう好きでないのに、テキトーなところで手を打っていると、「好きでたまらないもの」を探すセンサーが鈍ってしまう。寂しいからと言って、テキトーな友達や恋人を見繕ってはダメ。いつまでたっても「好きでたまらないもの」は見つからない。人生を、なめちゃいけない。こういう日常のささいな事で脳は作られ、その同じ脳で、大きな勝負に耐えなければならないのだからね。他人の思惑に流されちゃいけない。自分を見つけなさい。

※第二章は、若い人達向けに書かれた内容になっていた。私は、「孤高」と「他人思い」は、大いに共感・納得しました。
※【第三章 自尊心の章】【第四章 使命感の章】【第五章 餞の章】は、割愛しました。
※省略する事が出来ず、長文になってしまいました。「前編」「中編」「後編」と、3回でまとめましたが、これでも大幅に省略していますので、興味をお持ちの方は、是非ご一読されてみて下さい。



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