「5月15日は、沖縄復帰記念日」

2012年05月17日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

▲<「小禄南公民館」の隣家に咲いていた「ジャスミン」の花>

40年前は、日本の最南端は「鹿児島県与論島」だった。1970年代は、空前の離島ブームで「与論島」人気は凄かった。

1972年5月15日に、沖縄は、「日本国沖縄県」になり、アメリカの統治から、日本へ。ドルから円へ。

しかし、米軍基地は、少しずつ返還されつつあるが、日本にある米軍基地の74.7%が今も残されたままだ。その面積は、沖縄県の10.4%を占める。米軍関係者4万5,000人、軍雇用者9,000人。今も、沖縄県県下で「米軍兵士の犯罪」が絶えない。


▲<「ヤマモモ」の果実>

復帰後、日本政府から40年間に費やされた、「沖縄振興予算」は、総額で9兆2144億円にのぼり、米軍基地を受け入れる代償として投じられた予算を含めると10兆円を超す。他にも、様々な補助制度や減税措置も存在する。住宅街の「不発弾処理」は、今も日常的に続いている(沖縄県は、全国の半数)。

「観光客増加」や「雇用対策」は、少しずつ進展しているが、いまだに「産業育成」や「生活支援」が、本土に比べて遅れている(「厚生年金適用遅れ」が、無年金・低年金者の増加を加速し、「生活保護者急増」の要因になっている)。

今まで、「沖縄振興予算」の使い道が、公共投資(土木建設を中心に海岸の埋め立て、橋梁建設、「公共箱物」に偏り、その後の運営費に苦しんでいるのが現状。今まで手つかずの「交通網のインフラ」(公共鉄道が那覇市内以外に無い?!)や「教育振興」が手遅れの現状だ。


▲<「グァバ」の花>

沖縄が、アジアの玄関口と言われて久しい、(「那覇空港」の貨物輸送量は、ここ数年で全国第3位になった)この戦略の拡大はどう発展させるのか?昨年、第二滑走路の許可が下りたが、現状は、「自衛隊」との共通使用で、空はアメリカ軍に「制空権」を握られている状況。

6年前に沖縄に移住して、少しずつ学んだが、「農業」と「観光」の両立は、本当に出来るのか?いつまでも続く「戦争批判教育」を今後も続けるのか?そして、世界に羽ばたく「人材育成」はどうするのか?昔、海外に移住した先達のフロンティアスピリッツに目覚める日は、沖縄に来るのか?

・・・「復帰記念日」に、沖縄で生活していてこんな事を考えた。


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