永六輔さんがお亡くなりになりました。

2016年07月11日 18時30分00秒 | よのなか

▲<ありし日の、「永六輔」さん。刺し子の民芸服を粋に着ていた人でした。>

ついに、【永六輔】さんがお亡くなりになりました。83歳でした。

近年、ご病気で、長寿ラジオ番組も休まれていた。

一時、何を話しているか解りにくい時もあったのに、ある日から声が鮮明になって回復したと喜んでいたのに・・・。

私に、多くの影響を与えた人でした。

私が、10代の後半から20代の前半にかけて、「旅」をする事や、旅先で「民芸品」や「骨董品」を買うようになったのは、永さんの影響だ。

知れば、当時ヒットしていた歌謡曲の作詞が、「永六輔」だった(作詞家が作曲家よりも先に作品を創っていると知った)。

「遠くへ行きたい」「おさななじみ」「黄昏のビギン」「女ひとり」「見上げてごらん夜の星」「初めての街で」・・・切りがない。


TV「遠くへ行きたい」の初期は、永さんが実際に旅をしていた。名も無き田舎町に行き、その町の習慣や文化をそこに住む、地元のお年寄りから聞く。そんな「旅」の仕方を学んだ・・・。

全国にある「小京都」へ旅し「焼き物」を知ったのも、永さんだった(お蔭で、20代前半に、日本全県を訪問出来た)。

今住んでいる「沖縄」を最初に教えてくれたのも、永さんだった(今ご縁で、沖縄で生活しています)。

作詞の天才が、マスコミで一時代を築いたあと、ラジオの世界だけに絞り、「誰かとどこかで」を46年間続けた。

その間に、作家や文化人以外にも、芸人にも影響を与え続けた(桂米朝さんを全国に広めたのもお永さんだった)。

有名人だけでなく、「無名の人」の気持ちを、心を気負いなく語れる名人だった。

たくさんの事を教えてくれた永さんに、感謝!!

ご冥福をお祈りします。


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