嫌われる勇気(16)

2014年11月21日 00時05分00秒 | 沖縄の生活

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第4章 「世界の中心はどこにあるか(7)」

アドラーの「嫌われる勇気」岸見一郎+古賀史健著より 200~203P

g.「勇気づけ」というアプローチ

課題の分離について説明する時、「介入」という話をしました。他者の課題に対して、土足で踏み込んで行く行為の事です。

それでは、なぜ人は介入してしまうのか?その背後にあるのも実は「縦の関係」なのです

対人関係を縦で捉え相手を自分より低く見ているから、介入してしまう。介入によって、相手を望ましい方向に導こうとする。自分は正しくて相手は間違っていると思い込んでいる・・・。もちろん、ここでの介入は、操作に他なりません。

子供に「勉強しなさい」と命令する親などは、まさにこの典型です。本人としては善意による働きかけのつもりかも知れませんが、結局は土足で踏み込んで、自分の意図する方向に操作しようとしているのです。

一方、「援助」とは、大前提に「課題の分離」があり、「横の関係」です

勉強は子供の課題である、と理解した上で、出来る事を考える。具体的には、勉強しなさいと上から命令するのではなく、本人に「自分は勉強が出来るのだ」と自信を持ち、自らの力で課題に立ち向かって行けるように働き掛けるのです。

「馬を水辺に連れて行く事は出来るが、水を飲ませる事は出来ない」という、あのアプローチです。

課題に立ち向かうのは本人ですし、その決心をするのも本人です。褒めるのでも叱るのでもありません。

こうした横の関係に基づく援助の事を、アドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいます

人が課題を前に踏みとどまっているのは、その人に能力の問題ではなく。「課題に立ち向かう“勇気”がくじかれている事」が問題なのだ、と考えるのがアドラー心理学です。そうであれば、くじかれた勇気を取り戻す事が先です。

なぜ、褒めてはいけないのか?人は他者から褒められるほど、「自分には能力がない」という信念を形成して行く。褒めてもらう事が目的になってしまうと、結局は他者の価値観に合わせた生き方を選ぶ事になるからです。

※「人は他者から褒められるほど、“自分には能力がない”という信念を形成して行く。褒めてもらう事が目的になってしまうと、結局は他者の価値観に合わせた生き方を選ぶ事になるからです」・・・・そうかなぁ。「嬉しい気持ち」vs「能力がないという信念の形成」?解りにくい。