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晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 幻の漂流民サンカ(2) 6/21 

2013-06-21 | 雨読

2013.6.21(金)雨

 サンカという呼称はおそらくほとんどの方には初耳のことと思う。サンカとは山々を漂泊して竹製品などを作って売り歩いていた集団であるが、近世までの歴史的資料には現れていない。明治期になって警察関係文書などで初めてサンカのことが現れ始める。つまり新政府は無籍無宿であった彼らを戸籍に入れる必要があったのである。
 その時になってサンカ、山家、山窩などと文書に出てくるのだが、山窩は明らかに蔑称である。それどころか地方によっては、ポン、オゲ、セブリ、テンバ、カンジンミツクリなどと呼ばれていた。ポンはスッポン獲りから、オゲは川魚漁の漁具といわれている。セブリはフセリ=臥せりから、テンバは転場か、カンジンミツクリは勧進箕作りであり、いずれも彼らが自らのことをそう呼んでいたわけでなく、周囲から蔑称として呼ばれていたのである。歴史的にその都度の支配者によってつくられた制度の中には含まれていないものの、世間からは蔑視され差別されていた集団である。
 そして戸籍編入、定住化も進んだものの細々と生活を続け、その姿が完全に消えたのは1950年代も後半になってからということである。
 このように謎に満ちた集団(集団という言葉はおかしいが、彼らは明らかに一つの民族でも氏族でも無いからである)について、映画や小説で興味本位に取り上げたことは前述したが、真摯に研究された民俗学者もいた。
 代表的なものが柳田国男の山人説で古代からの列島の先住民で、王化に浴することを拒み山に生きた「化外(けがい)の民」という風に考えられた。
P1040661



「柳田国男の民俗学」(谷川健一著)第一、二章に山人論について詳しく書かれている。


 また、喜田貞吉博士は中世の系集団と考えた。その他の学者も論ずることはあったのだが、いずれも結論を見ない中途半端な研究に終わっている。それは古代、中世にサンカに関する歴史的民俗学的資料が何もないのが原因とみられる。つづく

【今日のじょん】昨日じょんのび谷の草むらの中に何者かが通った跡を見つけた。草の倒れようから見るとそこそこの大きさの獣と思われるが、開けた窓に向かってやたらと吠えたことがあって、どうもその時に現れたものらしい。今朝も表に出たとたんじょんのびファームに茶色の猫を発見、いずれも被害はないのだが、百鬼夜行というところか。P1040657_2

被害はないのだが、、 

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