2014.3.29(土)曇り
谷川健一氏の「泊瀬=果つ瀬」論は一見なるほどと思わせるのだが、ハツの説明があっても瀬の説明が無い。瀬とは川や海の浅くなって流れの速いところをいう。大和の初瀨や長野市篠ノ井長谷がどのような地形か調べていないのだが、葬地としてのハツセは奥武島や青島のように陸地から瀬をまたいでそう遠くない島というのが元来の姿ではないだろうか。南の島から日本海を北上してきた青の島の習俗はやがて川を遡り、山間部に伝達することになるのだろうが、その場合遺体を安置する場所は、川ならば対岸や中州、山ならば谷を遡った奥地となることが予想される。
澤氏は青野の葬地を陸の孤島、つまり陸続きの末端、もっとも辺鄙なところと考えておられる。現在の青野の地形からいうとまさに河川敷の氾濫原の部分がそれにあたる。
旧河川が青野の中心部を走り、写真の部分は右岸、または中州であった。
しかしわたしは青の島の原則からいうと、由良川の対岸あるいはかつて存在したかも知れない中州でないといけないという思いがあった。つまり人々が居住している地域から瀬を渡って行き着くのが青の島であり、泊瀬なのではないかと思うのである。
青野遺跡についてもう少し詳しく知りたいと思い、「日本の古代遺跡27 京都Ⅰ」を調べていて、驚くべきことに突き当たる。
青野遺跡については、青野遺跡(白瀬橋周辺から府道77号線に沿った部分)、青野西遺跡(市立病院周辺)、青野南遺跡(青野遺跡の南)という風に分かれるのだが、青野西遺跡と青野遺跡は北西ー南東方向に走る旧河道によって明確に区別される、とあるのだ。
青野共同墓地、鳩瀬、青野遺跡、現在の堤防や府道に沿った部分は現在では由良川の左岸だが、かつては右岸もしくは中州であったということである。つづく
【作業日誌 3/29】
エンドウ、レタス植え付け(佐々木農園苗)
ジャガイモの芽も出てきたぞ
【今日のじょん】ドッグランどのドアを開けていたら、その中にまで鹿に入られた。植え替えた青木は既にツンツルテンだし一体何を食っているのだろうかと観察すると、なんと雑草を食っている。そんなもん山にもあるだろう。
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