晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

飯盛山(5) 飯谷-3 4/19

2013-04-20 | 飯盛山

2013.4.19(金)曇り

 韓国神社へは普通車は辛いので、公民館に置いていくよういわれていた。川沿いの道をどんどん遡るがどれが公民館か解らない。だんだん道は細くなり、あやしげになってきた。出会った人に「公民館はどこですか?」と聞く。随分行き過ぎているようだ。走行していると右手上から軽トラが降りてきた。三叉路に待避しやり過ごし、這々の体でUターンする。
 お堂のようなところで子供たちが遊んでいるので聞くと、そこが公民館だった。子供たちが神社への道を案内してくれたので、歩いて出かける。
 韓国神社は延喜式神名帳には物部神社と書かれており、祭神物部眞鳥(まとり)が韓国連の姓を賜ったことに由来し明治初年に韓国神社と改称したとある。
 元の位置は字ミヤズというところで、昭和2年3月の山崩れ(北丹後地震)で崩壊し、翌年現在地に移された。
 従って現在地の神社で何かを見つけようというのは無理があろうと思える。境内にある石碑は昭和四年の銘があり、韓国神社の由来について書かれているようだ。まだ解析していないのだが、中に楽々
浦岩崎石云々という文言があるのが気になる。
P1040328P1040329



韓国神社と石碑


 神社に行くとその摂社を一番気にする。摂社にこそその神社の元来の姿を見ることがあるし、そうでなくてもその地域の古代の住民や文化についてヒントを与えてくれるからだ。しかし残念ながら摂社に祭神名は記されていなかった。こうなると何か他の方法で調べなければならない。P1040330



3社ある、一つは稲荷社とも聞いたが、、。


 神社に行くと周囲に落ちているもの、置いてあるもの、奉納物、石造物などの観察をする。石造物では盃状穴の有無や刻まれた年号などを見る。盃状穴も見られず、古い年号も見当たらなかった。もっとも時間の関係で詳しく見られないので、見落としもあるかもしれない。
 結局韓国神社で何かを発見することはできなかったが、非常に特徴的な石材が多く使われていることに気づいた。火山性の岩石と思うがやたら穴の開いた灰褐色の岩石である。
P1040333P1040335

 


境内にある特徴的な石と付近の家の庭石。



 神社から帰って行くと、道脇の家の庭にも同様の石が使われている。ちょうど田んぼで鍬打ちをしている方があった。
「この辺は昔石の産地でしたか?」
「そうそう切り出していたらしいよ」
「何か有名な名前が付いていましたか?」
「何か忘れたけど、なんとか石って言っていたみたいだよ」
「ありがとうございます」
その石が、例の石かどうかは解らないが、飯谷川の下流に石材店が今もあるのはその名残だろうか。つづく

【晴徨雨読】205日目(2007.4.19)仁摩滞在、石見銀山訪問
世界遺産登録審査中の石見銀山で、町並みはそれなりに整備されている。そのとってつけたような整備が嫌で、世界遺産には反対だ。最も地元では起死回生の観光開発として重点的に推進しておられる。これも当然のことだろう。旅行中だったか結果が出て、一応選に漏れたようで、内心ほっとしたのだが、再度答申の結果世界遺産となった。
 佐昆売山神社から石銀集落、大規模な間歩が集まる谷を誰にも出会うことなく歩けたのは幸いであった。鉱山好きにとってはもうドキドキハラハラの大興奮であった。今再度訪れたら幻滅するだろうから、多分二度とは行かないだろう。
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釜屋間歩、こうなると芸術品である。至る所に五輪塔や石碑がある。


【作業日誌 4/19】
紅千鳥(紅梅)、吉野ツツジ?2 白糸濱の植木市で購入、植え付け
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植えた木にオシッコすんじゃねえよ

【今日のじょん】
狂犬病予防接種、フェラリアの薬購入にキャドックさんに行く。行きがけにジローの家による。痩せてはいるが元気そうで、お土産のおやつもバクバク食ってたのでまだまだ長生きしそうだ。帰りにクチナシの苗をいただく。
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ジロやん元気だぜ
   

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