晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

四塚-3 11/14

2017-11-14 | 上林たんけん隊

2017.11.14(火)雨

 七条から八条へ行くにはJRの線路や梅小路公園などで分断されている。東は大宮通、西は御前通りを下るしかない。四塚は平安期にも遡る古い地名だが、当時の古文書では四陵、四墓などと表記されている。四つの古墳でもあるのかと思わせる。現在は東寺の南側一号線に面した部分と羅城門跡までの171号線南北の部分が南区四ツ塚町である。

国道1号線京阪国道口交差点(四ツ塚町)西へ173号線(西国街道)の起点でもある。
 中世、近世においてもこの辺りが四塚と目された地域と思われるが、ここに古墳だとか陵墓の記録は見当たらない。前回源為義が七条朱雀で斬首されたと記したが、「愚管抄」には「ヨツバカヘヤリテ、ヤガテクビキリケレバ、、、」とあり、四塚で斬首されたという説もある。四塚は処刑の場としての記録が多くあり、朱雀大路の南端であり、鳥羽造道や西国街道の起点となっていて、交通の要所であったことがその理由かもしれない。
 近世初期の四塚について「近畿歴覧記」(1681)黒川道祐の文がある。
「是(吉祥院天満宮の東のこと)ヨリ四塚ミユ。狐塚、光明塚、経塚等是也。」つまり四塚とは狐塚、光明塚、経塚ともう一つ不明の塚の四つの塚を表すと言っている。現在確認できるのは狐塚と光明塚のみだが、四ツ塚町の南に唐橋経田町(からはしけいでんちょう)というのが気になる。狐塚、光明塚とも現役時代の営業範囲で、雨の日など狐塚の前のJRガード下でよく雨宿りしたものだ。
 七条から大宮通を下って八条通を西に歩く。東寺の北側の門を過ぎ、六孫王神社を過ぎると八条源町、唐橋赤金町、唐橋井園町と下町風の町並みとなる。空き家もぽつぽつ出始めているが、こういう下町風情が大好きだ。やがて左手に狐塚の塀が見えてくる。

入り口左手の石柱には「都城六勇士の墓」とある。幕末のこととて興味は無い。
 勝田氏は「ここには古い石塔は多くない」と書いておられるが、それは歴史家の思いであってわたしには充分古い墓地に見える。白っぽくて新しい御影石ばかりの墓地は何の魅力も無いが、卵塔、五輪塔、地蔵、一石五輪塔が茶色を通り越して黒っぽくなって古色蒼然としている様は感激ものだ。平安の後期から墓地として親しまれてきて、今日でも周辺の共同墓地として生きているのは素晴らしい。お参りの人が一人帰られた。「よいところにお墓をお持ちですね」と心の中でささやく。

 真ん中にお堂が有り、その裏に無縁になった石塔だろうか寄せてある。結構な数のお地蔵があり、その多くにその首が無い、廃仏毀釈の影響だろうかなんとも寂しい気持ちになる。つづく

【今日のじょん】じょんのびの社員旅行に同行する。いつものように久美浜へ蟹食いに行くんだが、こちとら車で待ってるばかりでつまらない。

でもいくみちゃん一緒だからまっいいか。
焼きガニじゃ!
 

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