晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(24) 聞き取り 12/27

2010-12-28 | 歴史・民俗

2010.12.27(月)曇

 老富でお話を聞いたことは忘れないうちに書いておかないといけないので、興味のない方には申し訳ないが、当分続けることとする。
(4)海人族的習俗について
「西丹波秘境の旅」(澤 潔著)に海人族に特徴的な習俗がいくつか記述されていたので、大唐内に残っていないか確認した。
①寝宿(ねやど)
 いわゆる若衆宿のことで、若者が家を離れ一定の宿舎で集団生活をするものだが、そのような習慣は無かったと言うことだ。ただし世間一般的にそういうものがあったと言うことは知っておられたので、遠い過去にはこの地にも有ったのかもしれない。子供時分には正月など連日皆が集まって過ごしたということはあったそうだが、寝宿の習俗とは違うものだろう。

②産小屋、月小屋
 福知山市三和町大原にある産小屋はこの習慣である。月小屋は月のものの際に過ごす小屋のことだろう。大唐内ではこういう習慣、建物は無かったと言うことだ。ただ、かつては産敷(さんじき)といって土間にお産用の床を作ってお産をしたそうだ。Img_5894
 
大原の産屋


③年齢集団
 意味がよく解らなかったので聞き取れなかった。

④頭上運搬
 無し

⑤泣き女
 無し

(5)薬師さん、聖神社について
 大唐内薬師日課経という冊子と聖さんという広報紙を頂いた。いずれも成り立ちや歴史を紹介されており、信仰のテキストのようなものである。
また、今般作製された大唐内の年中行事というパンフレットも頂いた。気になるところは、聖神社に白髭神社の御分霊を合祀したという説があるということ、薬師さんに土印という赤土で作った印を押す風習があるということだ。実はこの風習はニソの杜で有名なおおい町の大島にも存在するのである。

(6)湯にまつわる伝説のこと
 大唐内薬師は行基菩薩によって開かれたと言われており、湯屋ノ内、湯屋谷などの地名があることから、温泉が湧き出でていたと信ずる人は多い。私自身は湯というのが温泉ではないと考えているのだが、弓削の薬師堂に関する古文書の話をしていたら、同じような伝説があると聞かせていただいた。
「昔薬師さんの脇には豊かな温泉が湧いていた。ある日乞食(ママ)がやってきて、
その湯で洗濯をした、すると途端に湯がでなくなってしまったとさ」
 ちなみに弓削の薬師堂の話は次のとおりである。
 「湯ノワク古跡 今ニ湯坪アリト云 蟻通フヨリワキ止ト云 湯ノ薬師迚(とて)三間四方堂 沸ト云。」

(7)墓制のこと
 両墓制である。

(8)飯森山について
  飯森山、イモリヶ岳、サントウ山、サントラ山など文書によって呼ばれているが三国岳の南東にある545mのピークのことで同じ山をさすようだ。大唐内の人は丸山と呼んでいる。廃村生守(イモリ)のことは知識として知っておられるようで、伝説として伝えられているようには感じなかった。

(9)山師のこと
  鉱脈を探す山師についてはWTさんが以前に山中で見かけたということだったが、Sさんが行きずりの人に「大唐内にはいい鉱脈があるらしいなあ」と言われたことがあったそうだ。また、Wさんの家には山林の仕事をする人が寝泊まりしていたそうだが、元々は山師であったということだ。

今日のじょん:ジャンプ踏みきりの写真である。立派な筋肉だと思うのだが、かみさんは「何となく動きが重そう、きっと体重増えてるで」と言っている。そうかなあ。Img_1978
 

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