晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

最勝河原-9 8/7

2017-08-07 | 上林たんけん隊

2017.8.7(月)雨

 塞ノ神、笹の神が蛇と関連があるのか調べてみたが一向にそのような話はないようだ。その付近に蛇が多いのも偶然のことだろう。ただ塞ノ神がなぜその地に祀られているか、西洞院五条同様気に掛かっていた。その場所は村や集落の境でもないし、街道の起点でもない、谷川にかかる小さな橋はあったと思われるがそれが理由とも思えない。

  スゲのお墓から深山を望む、その間に川合川と府道59号線が走っている。
 お盆前の墓掃除に行くとその真向かいにサイノカミのある深山(みやま)方面が目に映る。もしや深山はかつての葬地、屍体遺棄の場所だったのではないかという思いがわいてくる。
 上地スゲの小原株の墓地はわたしの生家の隣にあり、土葬単墓制の墓である(現在は火葬単墓制)。最も古い石塔で文政八年(1825年)であり、一石五輪塔やカラトなども見られないので墓地としては新しいもののようだ。

我が家のお墓、父の土葬骨、母の火葬骨が埋まっている。

 ではその石塔以前はどう葬っていたのだろうか。もちろん墓地というのは保守的なものだから、同じ土地に埋葬し、自然石や卒塔婆などを置いていたという風に考えることもできよう。しかし両墓制の捨て墓のように集落から離れた山などに屍体を遺棄していたのではないかとも考えられる。例えば各地に残る姥捨て伝説などはこういう葬法を伝えているものだろう。
 現在塞ノ神の付近には製材所跡の大きな建物がある。前回紹介した人も住んでいたという。だが、明治29年陸地測量部の地図を見ると、サイノキ周辺には人家は一軒もない。また、深山に入る林道が台頭高橋に抜ける街道かもしれないという思いもあったのだが、この地図で見る限りそのようには見えない。つまり深山はこのあたりではもっとも奥深い谷であり、集落から隔絶された地であるということだ。

 明治29年陸地測量部二万分の一地図、399mピークの東の谷が深山川
 ずいぶん大胆な発想だが、もしそうであったら、塞ノ神の存在は頷けることとなる。この世とあの世の境に塞ノ神を祀ったということだ。
 深山という地名も少し気になっている。結構多い地名なんだが、地名辞典や地名に関する書物には出てこない。確かにどれも深い山なんだが、それだけで深山と言うだろうか。わたしの知る限りの深山は村の外れにその入り口があり、周囲に人の住んでいる様子がない。そして大抵行き止まりとなっているのだ。おわり

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