晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の盃状穴(28) 番外編 6/28

2013-06-28 | 歴史・民俗

2013.6.28(金)晴れ 京都帝釈天(12)

 2013.6.26(水)の読売新聞の文化欄に「前九年の役清原氏参戦で新説」というタイムリーな記事が載った。清原氏は朝廷の命に従って安倍氏と戦ったのではなくて、貞任を排除して宗任を助けようという、嫡流問題への介入だというものである。宗任が清原氏の血を引く者というのがその理由で、様々な根拠をあげておられるが、現実に貞任は殺され、宗任は助けられている。
 新説の件は別として、貞任の遺体が七つに切断され丹波の山に埋葬されたことと、宗任が綾部市の黒谷辺りに逃げてきたなどという伝説が残る原因、意図というのは何なのだろう。丹波と安倍氏のつながりはあるのだろうか、今後の研究課題である。
 船井神社は京都帝釈天と同じく船枝にある神社で、住吉三神を祭神としており、途中で春日神を勧請し春日大明神とも呼ばれた。鳥居脇の石灯籠に「春日社」とあるのはその名残である。
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 郷名をとって船井神社としたといわれるが、船の停泊場所、船居の意味という説もある。船井郡、船岡、船枝など船地名が多いが、その由来は何なのだろう。丹波と都を繋ぐ船運の盛んな地域であったことは確かである。
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船枝から北上すると船岡の交差点に出る。右は日吉町、左は園部町市街方面となる。


  八木には住吉神を祀る神社が多くあり、海人族の居住した地域であることが解る。船運の船に由来する地名というのは理解できるが、船井が船の停泊地、船居というのは単純過ぎる。もし単に船の多く集まる停泊地であったら、桂川、淀川沿岸にいくつか船井、船居地名があっても良さそうだが、残念ながら見つからない。渡場、泊場を表す鳥羽地名はいくつも見られるのにだ。
 この周辺を何度も通り、また地図を眺めていると、桂川本流もこの辺りで水量も増して川幅が広くなっており、左右から支流も流れ込んでいる。
 単なる想像だが、この地で上流域の小さな船から中流域の大きな船に荷を積み替えた、あるいは集荷をしたのではないかと思う。そういう重要なトランジションが船居だったのではないだろうか。そう考えると船居、船井地名が流域のあちこちに存在しないことが筋が通ってくるのだが。つづく

【今日のじょん】法面の鹿の侵入が日に日に強烈となってくる。梅の収穫も終わったので対策をしようと思うのだが、ネットでは草刈りが難しいし、悩むところである。
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じょんも考えてくれい


 

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