晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

サンドラ岩始末記(2) 5/4

2011-05-04 | 歴史・民俗

2011.5.4(水)曇

 頂上から若狭側をのぞき込むと急な崖となっている。どうもこの部分にサンドラ岩の本体がありそうだ。古文書にはこの山は海上からの目印となる、山当ての山ということだから、きっとサンドラ岩は若狭の海に面していると思われる。この山は青葉山や三国岳に比べ、標高も低く目立たないので、サンドラ岩があってこそ目印になると思うのだ。Img_2837
 
頂上から若狭側をのぞき込むとかなりの急斜面となっている。


 頂上からまず三国岳側のコルに下る。まるで別世界のような広い平地で、廃村生守村(いもりむら)があったとしたらこの位置なんじゃないかと思わせるところである。せせらぎの音がするので上林側に行ってみると、すぐのところに谷が流れている。稜線上にこれだけの水が流れているのは不思議な感がするが、古代人が居住していたと予想するにたる水源である。サンドラ岩を探索すべく、若狭側の斜面をトラバースする。眼下の若狭側の沢にも豊富な水が流れ、水源の豊かさを思い知らされる。将に桃源郷といったところだ。Img_2842 Img_2844

丸山北西のコル、地図で見る限りではもっと広い場所が数カ所、三国岳の間にある。コルの左右には谷が流れていて水には不自由しないようだ。写真の谷は大唐内に続いている。


 まず頂上直下部分を右回りにトラバースしてゆく。丁度若狭湾に向かった斜面だ。灌木伝いにトラバースしてゆくと大小の節理の岩壁が出てくる。節理もはっきりしており、その節理の面は若狭湾を向いている。どうやらこの節理の岩壁は頂上下に数十メートルの巾で帯状に取り巻いているものと思われる。ただ風化したガレで覆われたり、土で覆われたりして部分的にしか露出していないが、もともとは総てが岩壁であって、千数百年前には周囲の山に比して異様な山容を見せていたのかも知れない。Img_2846 Img_2847
 
こういった岩塊がいくつか現れる。


 そうこうしているうちに主稜線上近くに回り込んできた。もう少し下のあたりも探索すべく、少しくだって再度若狭側へトラバースしてゆく。私は前回来たときの岩壁を下に廻って写真を撮ったりしていたが、若狭側に先回りした村上さんから声がかかる。「こっちは大パノラマやで」てんで行ってみると、確かに一面にサンドラ岩が広がっている。しばしその光景に見とれ、これがサンドラ岩の本家本元だと確信する。Img_2850 Img_2851
 
最大規模のものはこの場所のようだ。


 もう丸山の主稜線上の総ての部分は踏破した、サンドラ岩の総てを確認したと思っている。ところが何か満足できない気持が残っている。つづく

【作業日誌 5/4】
ベランダステイン塗り

今日のじょん:最近とみにおとーの席が気に入っている。多分あの長~い座布団の感触が気に入っているようなんだが、村長の座を狙われているようで不気味さを感じないわけでもない。とにかく夜はそこでずっと寝ているようだし、朝だっておとーがのいたらすかさずサークルから出てきて、そこで寝っ転がっているのだ。ウムム。Img_2823   

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