晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(61) 丸山とイモリ村 6/24

2011-06-25 | 歴史・民俗

2011.6.24(金)晴、夕立

 永谷坂峠から国境稜線を北に1Kmあまりで474mのピークがある。このピークは日置峠、宝尾から登ってくる尾根が合流するピークで何と呼ばれているのか知らない。若狭から丹波に越える道で最も古いのがこの尾根だろうと私は予想している。このピークをさらに主稜線を北に下ったところが坪坂(つぼざか)峠である。これは市茅野(いちかや)の集落をつめたところにある。つまり市茅野から関屋に越える峠である。ただし峠を越えてすぐに猪鼻峠からの道に合流するのである。関屋の坪に向かう峠だから坪坂というそうだが、果たして関屋の坪と言うところはどこにあるのだろう。関屋の小字に中ノ坪というところがある、いずれ確認してみたい。
 永谷坂峠も坪坂峠などをみると、永谷坂、坪坂という坂道があるのかなと思われるが、実際あるのかも知れないが実は「坂」とは峠のことなのである。尼公坂(にこざか)、ダラ坂などこの地方にもあり、北山周辺でも海老坂、知井坂、肱谷坂など枚挙にいとまがない。坂というのは境を意味し、峠というのが地理的にもあるいは精神的にも境を意味する場所なので「坂」が「峠」を指すようになったということだ。峠の語源は「たわ、たを、たをり」というのは柳田国男の説であるが、地形的にたわんだところ、鞍部という意味で当を得ていると思う。「越」(こし)、「乗越」(のっこし)という峠の別名もその動作から理解できる。
 ただ、坂=境という考え方には、国と国、村と村の境だけでなく、あの世とこの世の境という意味があることを見逃してはならない。古事記に出てくる黄泉比良坂(よもつひらさか)は将にあの世とこの世の境であろう。古代人が山の向こうにあの世が存在すると考えたとしてなんら不思議ではないし、月山や立山の信仰も元はその辺の思考にあるのではないかと思うのである。
 さてその北にあるのが小唐内から若狭に越える猪鼻峠(いのはなとうげ)である。次の写真を見ていただきたい。一体何に見えるだろうか。Img_3164




【作業日誌 6/24】
草刈り(5-2)刈払い機故障
薪割り

今日のじょん:6月というのに猛暑日となっている。「朝の散歩もほどほどにしとかなあかんで」と言いつつもぽんぽこぽんになると熱が入ってしまうおかーである。てなわけで、「ジャンプしてるとこうまいこと撮ってや」やて。Img_3148
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 続々・虫害 6/23 | トップ | 雨読 墓地 6/25 »

コメントを投稿