晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(42) なぜ太陽観測-1 10/17

2013-10-17 | 上林地名考

2013.10.17(木)曇り

 「日置部太陽観測者論」というのはやはり重かった。単なる想像について”論”はないかと思う。
 日置部、日置氏について様々な意見があるのは、長い歴史の一場面をカットして見るからそうなるのではないかと思う。
 縄文時代、人が狩猟採取で生きている時代にも日々の繰り返しも四季の移り変わりもあったわけだから、人々はどの時期に何がとれるということは充分意識していただろうし、この時代においても栽培ということはかなり行われていたということがわかってきているので、季節による播種であったり、収穫であったりということが、充分意識的にとらえられていたと思われる。(エゴマ、大麻、その他雑穀など)
 栽培について天体の観測まで及んでいるか否かは知るよしもないが、船の航行などでは天体観測なくしてあり得ないだろう。
 栽培に関しても、四季による自然の変化は充分に活かしていただろうし、縄文時代に栄えた地域が北海道、東北などの積雪地帯であることを考えると、積雪の時期、残雪の形状を播種などの目安にしていたことは考えられることである。
 わたしが地名に関心を持ち始めたのは、日本アルプスなどの山名である。一番最初に登った雪山が白馬岳(しろうまだけ)で、白馬は実は代馬つまり代掻き馬のことだったのである。残雪の中に代掻き馬が現れたら苗代の用意をしろということだったのだろうか、とにかく残雪の雪形が農耕の指針、一種の農事暦となっていたのだ。現在では駅名や地名が白馬(はくば)となっておしゃれな雰囲気をかもし出しているが、現実の雪形は岩の部分で、残雪に囲まれた黒い岩壁で黒馬(くろうま)なのである。
 蝶ヶ岳、爺ヶ岳、農鳥岳など雪形に由来する山名は限りない。そしてそれらのほとんどは農耕に関係している。
 「甲斐国志」に「コノ峰下ニ、五月ニ至リテ雪漸ク融ケテ鳥ノ形ナス所アリ。土人見テ農耕トス。故ニ農鳥山トモ呼ブ。」と言うような一節がある。(「富士山はなぜフジサンか」より)
 残雪の形状というのは、暦よりも確実な農耕の指針となるかも知れない。その年独特の降雪量、気温変化などが反映するからだ。
Img_0684

 


秋田駒(1637m)は残雪に駒形が現れるが、岩手県側から見えるそうで、やはり農事暦として使われていた。(2006.9.16)

  雪形による農耕の目安は品種によっては現在でも生きているのかも知れない、しかしその始まりは栽培が始まったときからあるのではないだろうか。
 それでは積雪の少ない、西日本などでは何を指標にしていたのだろう。つづく

【今日のじょん】
これは何をしてるのでしょうか?実は尻尾が手すりに当たってコンコン音を立てているのでス。P1010528
P1010529
P1010527



そー、大好きないくみちゃんが来たのでした~

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