晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 続・暦の語る日本の歴史 10/6

2013-10-06 | 雨読


2013.10.6(日)晴れ 

 氏は「月の人間生活に与えるものといえば潮汐(ちょうせき)と月明かりぐらいのもので、太陽のもたらす大きな恩恵と比べれば問題にならないぐらい小さい。それならばこそ世界各国は古くから太陽暦を用いてきたのである。しかし日本人のそぼくな太陽暦思想は、中国流太陰太陽暦の輸入、実施によって完全にぬぐい去られてしまった。」と記している。
 日本人のそぼくな太陽暦思想とは、先に紹介した春耕秋収の意味する季節循環、自然暦の思想の根底にあるもので、それは太陽暦の概念である。
 しかし先ほどの文の4ページあとで、古代文明の栄えた国々で、エジプトやペルシャなどでは太陽暦が使われたが、多くは太陰太陽暦であったと、先ほどと矛盾することを述べておられる。エジプトでさえ歴史以前は太陰暦が使われていたのでないかとも書かれている。

 「知られざる古代」のなかで、ごく当たり前と思われる太陽信仰は実は少数派なのだ、というようなことが書かれていたのは、関係することなのだろうか。
 なぜ不便で非合理的な太陰暦が多くの国で使われていたかという理由は本書には出てこない。
 わたしなりに考えてみれば、まぶしくて見つめることのできない太陽より、じっくりと観測できてしかも定期的な満ち欠けがある月の方が親しみがあり、暦を作る際に有利だったのでは無いだろうか。
 しかし暦のない時代に、農耕の指針として人々が採用したのは太陽の運行であろう。それは太陽の出入りや軌跡によって季節がわかるからである。
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毎日同じ時間に朝日を見ていると、その位置が随分変化することに気づく。
 知っているようで知らないことがあるものなのだが、夏至と冬至の真ん中の日に秋分があり、冬至と夏至の真ん中に春分があるものだと思っていたのだが、そうではないのだ。例えば今年の例を見てみると、昨年の冬至から春分まで89日、春分から夏至まで92日、夏至から秋分まで94日、秋分から冬至まで90日となる。
 春分から秋分までは186日、秋分から来年の春分までは178日となる。
 これは太陽と地球の距離が一定でないためであり、地球からみると季節によって太陽が早く動いたり(近日点)遅く動いたり(遠日点)するためである。(中心差)
 このことは太陽の位置で冬至、夏至の日は確定できるが、その両日をもって春分、秋分の日を確定することはできないことがわかる。つづく

【作業日誌 10/6】
ドッグランど芝張り
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芝張りたって河原の野芝や拡がった高麗芝を剥がして使うので経費は無料、これが来春グリーンに変わるのがとても楽しみ。

【今日のじょん】来じょんするワン達にも相性があるみたいで、仲良く遊べるワンと遊べないワンがいる。レオが来たのでどやったかなと思いつつ、作業をしていると「ウ~ワンワン」と唸られている。
「やっぱり吠えられてるな」と思ったら、吠えているのはじょんだった。「偉そうに吠えんと遊んだげや」と言ったが、そうやって上下関係を作ってしまうものらしい。

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