晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 暦の科学 10/28

2013-10-28 | 雨読

2013.10.28(月)晴れ

 暦というものがどのような歴史を持っていたかを知るために、「暦の語る日本の歴史」(雨読 2013.10.5参照)を読んだが、暦の元となる天体の実際の動きは如何なるものか知りたくて、できるだけ具体的にわかりやすく書いてある本を選んだ。
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「暦の科学」(片山真人著)ベレ出版 2012年5月初版 府立図書館借本
 暦という極身近なものが、どのようにして作られているか知っている人は少ないと思う。私も知らなかった、知らなくても暦は何処ででも手に入るし、暦を見なくても日時も曜日も何らかの方法で知り得る時代だからだ。
 暦の無い時代、日本でいえば6世紀以前といえるが、その時代には自然暦といわれる自然の変化を読み取って農事の指針としていたのだろう。
 タイトルのとおり暦について科学的に書かれているのだが、序文に重要な事が書かれていた。
 そもそもこよみとは太陽や月の動きを観測してその周期性をつかみ、将来を予測することで、農耕作業などの事業を計画的に進めるため考案されたものである。ゆえに、こよみの中にはたくさんの天文学的要素が潜んでいるし、こよみをもつ支配者が巨大な文明・国家を築くことになった。良くも悪くも、こよみは社会に多大な影響を与えてきたのである。
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毎朝、朝日を見ているとその位置の変化がよくわかる、この地方だと霧や降雪に対する対策も考えなければならない。

 著者の片山氏は国立天文台暦計算室長という肩書きで、期待通り科学的に暦というものを書いておられるのだが、その歴史的な部分について時の支配者が暦を権力を維持するために重要なものとしていたことに言及されている。また、良くも悪くもという言いまわしをされているのは、暦が社会に対して悪い面をも持ちあわせていたと考えておられるようだ。それが何か、本文中には見当たらないが思うに、暦が支配者に政治的に利用されたことと、大陸、半島から輸入された暦がいわゆる暦注と言われる迷信的な事柄に重きを置いていたため、人々が日常の生活に至るまで惑わされてきたことをさしておられるのではないだろうか。
 暦の歴史が複雑な理由は1太陽年が365.2422日、1朔望月(新月から新月まで)が29.53日だということにつきる。つまり月も地球も太陽も人間の都合ではまわっていないということだ。
 本書を読んだ理由の一つは、太陽観測をして、古代人が季節、具体的には冬至、春分、夏至、秋分に当たる日を確定することができるか否かを知りたいが為である。基本的には棒と縄ぐらいの原始的な道具を使用して、それは可能であることが理解できた。
 また、定義の仕方、観測位置などの問題で様々な誤差が出ることもわかった。例えば春分には日の出は真東、昼と夜の長さが同じということはないのだ。
しかしそれでもそれらの日を確定することは可能で、暦が輸入される以前の日本でも四節季はわかっていただろうと予想する。

【作業日誌 】
芝張り、芝生広場、ドッグランど1㎡
薪割り
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新しい芝を芝生広場に、剥がした芝をドッグランどに植え替える。


【今日のじょん】
やっと秋晴れの日が来た。ゆきちゃんが来たのでドッグランどに出してやったら、ひなたぼっこしてやがる。「走らんかい」と言ったら、ランど中走り回り始めたので驚いた。P1010632

 

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