晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(112) 福井県-3 9/14

2014-09-15 | 地名・山名考

2014.9.14(日)曇り 穴虫考(111)は2014.9.4

 山田清吉氏の詩集「べと」から「だんだんたんぼ」よりに「藁葬」という詩があり、それこそが穴蒸し、穴虫ではないかと気付いた。
 勝ち将棋鬼の如しという諺があるが、穴虫が火葬地、火葬方法という仮説を立ててから、あらゆる問題がどんどん解決していくのだ。
 穴虫のある所には真宗寺院が隣接していたり、真宗の影響が見られないところには、鎌倉武士の影響があったり全て筋が通ってくる。
 周囲の地名が解らずに考証が難航していた大津市北大路町三丁目の穴虫池(2014.2.27,28参照)もその地が焼野鉱山というマンガン鉱山であったことがそのまま火葬地と言えるのではないか。焼野(やけの)というのは鉱山地帯を表す金属地名でもあり、焼畑を示す地名とも言われている。しかし、野というのが葬地、墓地を表すことも事実なので、素直に焼き野→火葬地と解釈すれば、穴虫池の地名も理解できてくる。
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穴虫池はかつての焼野鉱山跡で、水が引かれると坑道跡が出てくる。
 さて、この穴虫池から琵琶湖に注いでいる川は盛越川という。考えすぎかも知れないが、これをモチコシ川の転訛とすれば更に奇妙な符合が現れる。モチコシというのは、居住地から尾根や山を越えて葬地を構えることで、越える峠が持越峠などと呼ばれる。そう考えると、焼野、穴虫池から尾根一つ越えた所に国分が有り、晴嵐小学校のところにかつて国分寺があった。また北に尾根を越えると富士見台の滋賀病院のところに国分尼寺があったという。丹後国分寺(宮津市国分)の西へ尾根ひとつ越えた所に男山穴虫があることを思うと随分信憑性を帯びてくる。
 話がそれてしまったが、「だんだんたんぼ」を読み直すと参考になることが幾つか現れた。「納骨」という詩には、次の一文がある。
 
父が刈り取った稲株を
 力一ぱい引き抜く
 根が土を返した

 五反田んぼの真中
 亡父を押し込む
 うしろをふりむかないように帰るんだ


 これは詩の一部だが、火葬骨を田んぼの中に散骨している様子で、骨箱ごと埋めている。後ろを振り向かないようにというのは土葬の場合にもあることで一般的な風習らしい。
つづく

【作業日誌 9/14】
 芝生広場北側の育ちの悪いところを野芝混植とする。十日ほどかかりそう。
 ほうれん草種蒔き

【今日のじょん】朝、久々に猿の軍団が来た。従来なら隣家の栗の木に群がっていたのだが切り倒してしまったので、あれ~って感じでウロウロしていた。ざまあみろ。じょんはおとーが気付いて窓を開けたりしてからワンワンやりだした。もっとはよー気付よ。

 

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