晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

嗚呼 木住峠-8 4/6

2018-04-06 | 山・峠

2018.4.6(火)雨

 木住峠の岸谷側(舞鶴側)の右側(東側)に小さな広場がある。こういう広場は胡麻峠にも猪鼻峠にも見られない。八代峠にも神子峠にも見られない。ところが大栗峠の北側には立派な広場が残っている。茶店があったという風な話もあるようだが定かでないが、いずれも人工の広場のようだ。牛馬荷車の往来する産業道路と予想した両街道に共通しているのは、牛馬荷車の休憩場所としての広場なのではないだろうか。
 さて次の証拠は、岸谷側の峠道も同様に広くなければならないということである。岸谷側の道は北西になだらかな斜面を横切っていくものだが、峠からずっと植林地帯である。植林の中の道は日が当たらないので湿気が多く、落ち葉が腐葉土化して本来の道が残らない。必死にルートを追うがものの数分で途切れてしまった。踏み跡を追うと言うのではなく、過去にあった道を探すというもので、要は誰もこの地帯を歩いていないと言うことだ。峠から少し下りただだっ広いところで諦める。まわりは倒木ばかりで道は解らない、時間があれば無理やり進むことも考えられるが、また登り返さなければならないので今回は諦める。

植林の中を道の跡を探す、ミツマタはこういう陰気なところが好きみたい、倒木に囲まれた広いところで断念。
 元来た道を峠に登り返し、遊里道を下ることにする。清水道が新産業道路とすると、遊里道は元来の人道であるはずで、清水道のように広い必要はない。予想通りすぐに道は狭くなり、やがて出てくる徒渉場などを見れば完全に人の歩く道である。牛馬荷車は不可能と言うことだ。
 徒渉場を過ぎるとしばらくして堰堤の所に出、前回下った尾根の末端の林道終点が見えてくる。
 木住峠の清水道と遊里道は大栗峠の志古田道と弓削道の関係と一致する。最も合理的に迅速に峠に達する人の道と荷物を運ぶ牛馬荷車の道の関係である。いずれが時代的に先行するかは明瞭である。岸谷側の道は宿題が残ったが、一応の目的を達成した有意義な山行だった。

左:遊里道の降り口、中:徒渉場は荷車ではとても無理な狭い道 右:林道終点、右の尾根が前回下った尾根、左の谷道が本来の遊里道。
【今日のじょん】4月3日が花の最盛期だった。ちと早いけれど今年はきれいでしたネ


玄関前の桜がじょん2歳の時植えたじょん桜。


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