晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

あなしら上林-2 12/21

2014-12-21 | あなしら上林

2014.12.21(日)曇り

 かんばやし里山新聞第3号(2014.12.18)が発行されたので、掲載のあなしら上林を公開します。

二、生守山 その一
 生守山(いもりやま)といってもほとんどの方が知らないだろうが、上林の方は丸山と呼んでいる。これなら知っているということになるのだが、丸山というのは上林にいくつもある。上林川が蛇行侵食して取り残された地形が環流丘陵といわれ、志古田や弓削の入口に円い特徴的な山を残している。これらは形から丸山と呼ばれることが多く、神社を祀ったり山城が築かれたりしている。
 ところが今回紹介する丸山は還流丘陵ではなく、海底の岩盤が隆起して、風化に耐え円い形になったもので、老富の渡辺さんに初めて写真を見せてもらったとき、この山には何かあるぞと感じさせる形であった。

生守山研究の発端となった冬の丸山(生守山)の写真、渡辺さん提供
 丸山は老富町と高浜町の境、若丹国境上にある五四五メートルのピークで、三国岳の南東一キロメートルにある。
 この山は文献により生守山、イモリガ嶽、猪森山等と書かれ、いずれもイモリが基調になっている。他にもサントラ山、三俵山などと書かれているものもあり、これは山頂を取り巻く岩、枕状溶岩が桟俵(藁で作った米俵の蓋)に似ているからそう呼ばれている。

生守山を取り巻く枕状溶岩、サンドラ岩
 生守山は謎の山だが、その最たるのは廃村生守村である。若狭の郷土史研究などに廃村生守村が若丹国境に在ったと書かれていて、室町時代には廃村になったという。稜線上を歩いてみたが、人が住めるような処は1ヶ所しかない。それは生守山の北側のコルである。平地と水、そこには小川が流れており、林が開けてまるで桃源郷そのものだ。かわらけでも出ない限り村の存在は証明できないが、もし村があったとして一体何をしていたのだろう。

生守山北側のコル、若丹両側に谷があり、清水が流れている。 

 当初は祭祀の場、葬送の場などを考えたが、それらしき伝説などもなく、祠や地蔵、五輪塔などの遺物もない。
 次に考えたのが産鉄の村である。日本における原始的な産鉄は考古学界でも謎である。大陸や半島から原料を輸入して鉄を生産しただろうというのは確かなところとなっているが、それ以前に極原始的な方法で鉄の生産が極小さな規模で行われていただろうというのも予想されている。そんな原始的な産鉄がこの地で行われていたのではないかと考えたのである。
 民俗学的には、生守山の丹波側に鬼の穴という岩窟があり、大唐内の谷には鬼の洗濯岩というナベ滝(釜のことか)があった。また、大唐内には聖神社に大蜘蛛伝説があり、これらは産鉄の地に存在する鬼伝説の一環であると思われる。つづく

【作業日誌 12/21】パンフレットスタンド作成、年内完成を目指す。

【今日のじょん】なんか必死に嗅いでるなあと思いきや、天ぷら油捨てたところだった。これって獣も来るのよね。

 

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