晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続 土器・鉄滓 10/17

2012-10-17 | 歴史・民俗

2012.10.17(水)雨

 鉄滓については収集したものは一応清水の鋳物師の鉄滓が28年の大水などで流れ着いたものと考えている。
 清水の井関氏宅のタタラ場から発見されたものと同様の形状をしている。
 上林川の流域では無く堤防の上部辺りでの発見がほとんどである。
 28水(13号台風水害)では大量の土砂が流れ着き、村田の屈曲点附近に堆積した。堤防などの復旧工事にはこれ等の土砂が使われ、他所から搬入される事は無かったという。
 こういった理由で、念道で発見された鉄滓は清水の鋳物師によるものと考えているが、断定できるものではない。P1020909
 



左が上林川念道附近で最初に見つけた鉄滓、右は清水の井関方で発見された鉄滓、風化が進んでいるのと、錆が出ているのの違いはあるが同一の種類のようだ

 念道の500m程度の範囲内で沢山の鉄滓を採取出来るということは、それが清水のものだとすると元の位置には相当な量の鉄滓があったことになろう。そうであれば、言い伝えや老人の話の中にあっても良さそうなものである。そういった話が無いか調べてみたい。
 また、清水から念道までの間8Kmあまりの川筋にも同様に発見できるはずだと思う。これは近々歩いてみたいと思う。
 もし画期的な発見ができるとしたら、川の流域以外の山地で、あるいは清水から念道に至る以外の流域で鉄滓を見つけることである。さすればそれは清水の鋳物師以外の発生源となるからだ。
 これらが現在の努力目標でもある。
 そんな中、上林川河川敷以外で鉄滓を発見した。(2012.10.6参照)残念ながら河川とは無関係の山中では無く、川の近くの府道の傍という微妙な位置からである。P1020896 P1030046
 



左:上林川以外で採取した鉄滓
右:15日、16日左岸堤防で発見したもの。どちらも磁性が強い。



一応従来の河川敷から発見されたものと同様のものという思いが強い。
 今シーズン、つまり草が枯れ雪が降り積もるまでの期間にはもう既に三個の鉄滓と岩石か見分けのつかないもの一個を採取している。従来と同様堤防付近で発見したものだが、少し様子が違う。
  形状も従来の板状、塊状というのでは無く、流体そのものといった感じで、全体に強い磁性がある。最後に見つかったものは従来のものには必ずあった気泡の跡が見られない。しかし総てに共通しているのはどこかの面に平滑な部分があるということだ。
 結局総てが同一の出所であって、滓の出る部位の違いかということになるのだが、それ以前に鉄滓、非鉄金属滓についていかに無知であるかということに気づく。 
 鉄滓といっても製鉄滓、鍛冶滓、鋳物滓など各種有り、それらの差異はわたしには分からない。数多くの文献で写真を見てもその差異は分からないし、成分分析をできる環境にはない。P1030047
 



これは16日発見の鉄滓の近くで採取したものだが、鉄滓か岩石か区別がつかない。強力な磁性があり、超苦鉄質岩のようでもある。石英状のキラキラした鉱物が混じっている。

 つまり鉄滓、あるいは金属滓について念道で採取していても進展は無い。念道以外で見つけること、それらが一体何であるかを調べることが今後の方向だと思っている。

【作業日誌 10/17】
草刈り(6-3)

【晴徨雨読】78日目(2006.10.17)宮古~大槌~笛吹峠~遠野
 わたしが泊まったところで、今回の津波の被害にあったのはおそらく宮古の末廣館だけでないだろうか。あとは山中であったり高台であったりで大丈夫だろう。末廣館は営業を再開されたという報があったので、浸水はあったが倒壊は免れたということだろうか。再興を祈るばかりである。遠野は必ず行くつもりであったが、元々釜石から仙人峠を越えて行く予定であった。ところが思わぬ向かい風に負けて、大槌、笛吹峠から遠野に行くことに変更した。厳しい峠越えとなったが、この笛吹峠こそ日本の近代製鉄の礎となった橋野高炉や古代の製鉄遺跡や柳田民俗学の宝庫的な存在であった。最も印象に残る峠である。Img_1247




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