晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

睦志のこと(22) 穴虫ー28 3/6

2014-03-07 | インポート

2014.3.6(木)雪 考察 上杉町穴虫

 帰りに鳥居野に向かう道沿いに墓地があった。上林のように屋敷に隣接はしていないが、かつては両墓制だったのではないだろうか。綾部市史に東八田地区の一部とあり、両墓制の特徴としておびただしい数の板碑や一石五輪とうが墓地に遺存しているとある。まさにそういうお墓である。
P1020441
 

 さて、上杉町穴虫について考察しないといけないのだが、今回の訪問は自らの目で見るだけというきわめて心許ない調査訪問なので考察も稚拙で浅いものとならざるを得ない。再度聞き取りや、事前調査を重ねた訪問をすれば今回とは違った結果が得られると思うが、とりあえず初見の穴虫に対する考察を述べておきたい。
 (1)穴地形か否か。
 穴地形というのは瀬戸内海の島と島の間の海峡のような地形を指しており、私自身が付けた名称である。穴虫と道を挟んだ海自施設によってできている切り通し状の地形は確かに穴地形と言えるかも知れない。伊佐津川に突き当たる所でぽかっと景色が拡がるのは瀬戸内のいわゆる穴のミニチュアと言ってもいいかもしれない。しかしそれは香芝町の穴虫峠や亀岡市千代川の穴虫のようにはっきりとした穴地形とは言えない。
P1020438
 

上杉方面からみた穴虫(右手)、切り通し状になっているが穴地形といえるかどうか。

(2)穴虫は無所か。
 穴虫に石塔だの五輪塔だのは無さそうだ。もちろん村のお墓がありそうにもない。もし無所だとするとそれは両墓制の埋め墓である。埋め墓だとすると外見的に証拠を見つける事は困難である。沖縄のグソーのように人骨が残っているというようなことはあり得ない。
 ただ、埋め墓というのは集落の端に置かれることが一般的である。穴虫は上杉村の外れにあり、川を越えると於与岐村となる。これほどうってつけの場所はないと思われる。今一つ気になるのは穴虫の南、東に堺ノ谷という小字があるのだが、この堺とは何の堺だろう。
P1020437
 

穴虫はこんもりとした丘状になっている、堺ノ谷はこの右手
(3)毟(むし)り地形だろうか。
 弥仙山、蓮ヶ峯から集まった水は、於与岐の田畑を潤し、市ノ瀬橋から上流500mほどが急に狭くなる。大雨の際には流れ、水かさともにかなり厳しいものとなるだろう。かつての於与岐八幡宮が大洪水で流失したというのもうなずける。このゴルジュ帯が毟り地形と言えるし、穴地形とも言える。
P1020428  
 

雪解けの水を集めてゴルジュ帯の水量は多い
 地形的なものはともかく民俗的なことは再度聞き取り調査などしないと解らない。近隣に人家が無い以上、上杉の集落で聞く以外になさそうだ。つづく

【作業日誌 3/6】
 自転車修理ツールボックス作り
【今日のじょん】
 うんP南北説では10匹の犬で実験し、そのうち3匹がうんPしすべて南北だったという。じょんも当初南北だったので注目したが、昨日も今朝も東西で、南北説はインチキだとわかった。しかし何百キロの道のりを家にたどり着くとかいう帰巣本能の事などは、地磁気に対しての感覚があるのかも知れない。P1020447
失礼

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