晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

幻の仏主峠ー4 6/30

2019-06-30 | 山・峠

2019.6.30(日)雨 仏主峠考察編
 今回の山行は驚いた、地理院地図に峠名まで掲載されている峠が見つからないのである。長老ヶ岳は著名な山で登山客も多い。峠も歴史的に重要な峠だし、文献も多い。そんな峠が見つからないとは一体どういうことだ。わたしは登山するとき国土地理院の2万五千分の一地図の情報だけで行く事にしている。アプローチの交通や駐車場などはしっかり情報を仕入れていくが、それ以外の情報は地図に頼っている。地図を見てどんな地形なんだろう、どんな山道なんだろうと想像するのは楽しい。そしていつも道に迷って、後戻りしたり変な谷を下ったりして、納得するのは下山後に地図と記憶をつきあわせてからのことである。もっとも上林周辺の山の情報なんて無いに等しいものであるが。
 
さて地図上の仏主峠は峠らしからぬ峠である。稜線を東から西に乗っ越した地点なのか、オマツ谷に降り始めた地点なのか、いずれにしても地蔵さんとか道標とかがあるものだ。ところが現実には何も目印になるようなものはなく、いわゆる峠地形となっている場所もない。釈然としないまま下山し、後日仏主峠の記録を探す。
 まず最初に見たのは「北山の峠(下)」金久昌業著である。この本はサブタイトルがー京都から若狭・丹後へーとあるように、北山から日本海に至る街道としての峠を網羅しており、ルートが詳しく説明してあるとともに文学的な表現で民俗や歴史なども織り交ぜた珠玉の著で、峠巡りのバイブルと言える。
 1980年の初版だから山行はそれ以前と言うことになるが、三埜(みつの)から登り、仏主に下る山行の峠の部分だけを紹介してみよう。
 仏主峠はなお二〇〇メートル程前方である。長老岳へはここから往復約一時間強の距離で、ピークを二つ程越してゆく草の円頂には、中央に岩があって北方に日本海が望見される。峠道に戻って三叉路から峠までは山腹の巻き道で、すぐ右から中ノ谷を上ってきた道が合する。右側は伐採された中ノ谷の源頭で、山波が重畳する広い視野である。山腹を上り気味に巻いていた道が急に曲って尾根の反対側に移る角のところが峠である。
 つづく

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