屯田物語

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「風立ちぬ」 を観て・・

2013年09月19日 | 日常


風立ちぬ いざ生きめやも 
 この言葉を聞くと、立原道造の”朝に”という詩を連想するが、
画架に立てかけ絵を描く菜穂子のスカートが風にはためき、パラソルが風にのって二郎のもとへ飛んでゆく、
このシーンがとても優雅で美しく、そのまま画面に引き込まれてしまった。
 帽子とパラソルと紙飛行機・・
風がつくりだす偶然が重ね合わさって、二郎と菜穂子が出会い結ばれてゆく、
ともに過ごせる時間は僅かしかなくても、二人は十分に幸せであったに違いない。
それを予感させる描きかたが優しく思いやりがあった。これが宮崎アニメの原点なのだと思う。
 しかし、この作品から飛行機に寄せる宮崎駿の熱い想いは感じたが、
ファンタジックな夢と戦争という悲惨な現実がどう結びつくのかがよくわからなかった。

立原道造は結核性肋膜炎のため24歳で夭折した。
堀多恵子(堀辰雄の妻)は道造の恋人の水戸部アサイと会ったときのことを”優しき歌の世界”の序文に書かれている。
 私はその夏の日、初めてアサイさんに出会った。
立原と同じ事務所に働く女性と聞いていたが、
いかにも立原さんの好きそうな楚々とした高原に咲く花のような感じを受けた記憶がある。
立原さんの没後、立原さんの周囲にいた友人たちはアサイさんの悲しみを汲み、
静かにそっとしておくのが一番だと思っていたようだ。
・・・
十年ほど前、追分にわざわざ訪ねて来られた時も私は留守をしていて会えなかった。
そのことをずっと残念に思っている。
アサイさんも今はもういない。


 水戸部アサイさん
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