たなごっち先生は将棋の先生とは偽りの名。実は五獣の拳の使い手であった。こりゃまたビックリ。将棋の駒は実は暗器(毒を塗った手裏剣みたいな物の総称)だったのだ。
五獣の拳は昔、魏・呉・蜀の三国時代の華陀と言う人が編み出した体操・五禽の戯を基に作り出された拳術でありまする。
蜀の武将、漢の寿亭候、関羽(横浜に行くと、関帝廟があるでしょ。あの御本尊だよ。)が肘に矢傷を受けた時に、治療したのが華陀という医者で、華陀が治療の為、手足を縛ろうとするとそれを押しとめて、傷口を切り開き、毒に侵された骨をゴリゴリと削り治療させた。その間、身じろぎもしなかった。見ている側近の者の方が気分が悪く成る程だったそうな。 関羽がは何事も無かった如く、「先生のような名医にはお会いした事がありません」と言うと、華陀が、「私は、貴殿の様な患者は見た事がありません。そうするとさしずめ、名患者と言う訳ですな」。そう!。これで名医と名患者という言葉が生まれましたぞな。
虎勢戯 熊勢戯 鹿勢戯
猿勢戯 鳥勢戯
話は脱線しましたが。この五禽之戯・虎、鹿、熊、猿、鳥を基に明代になり白玉峯(秋月禅師)によって更に研究され、より実践的な少林五拳を考案した。龍拳、虎拳、豹拳、蛇拳、鶴拳だ。 その後、嵩山少林寺が清朝によって焼き討ちされ拳士が各地へちらばり南派少林寺となるのである。でも南派少林寺は伝説のものだよ。
南派で有名な者には少林三雄の方世玉(ファンシーユー)と虎鶴双形・少林八傑の洪熙官(ハンシークヮン)がいる。よく映画にも出てくるね。もっと余談だけど、洪熙官の弟子の鉄橋三の型を見ると、空手のナイファンチ立ち(鉄騎)によく似ている。南派・白鶴門拳の伝書が沖縄「武備志」に伝わったものなのか詳しくは、松田隆智先生の「少林拳と太極拳」を読んでね。 ごっち先生のアイコン観音菩薩の化身、緊那羅王みたいなお顔だね。バスを持っているお顔とは別人みたいだ。今度、山にある棍(コン、棒の事)を持たせてみるか。
今度,ご自宅にあったと思われる少林寺系のビデオを観させて頂けないでしょうか。興味があるのです。