三国志でまず、一番最初に覚える人が関羽、字は雲長、張飛、字は翼徳、趙雲字は子龍だと思います。あれーまだやるのかよ。
先ず関羽。関羽でまず思い出すのが、劉備が袁紹のもとに身を寄せていて一方、曹操の所に捕虜となっている関羽と劉備の正室、甘夫人。曹操は関羽を是非配下に取り立てたいと切望してたので、「寿亭候」という位を与えたりした。その時関羽はじーっと印字を見てそのまま返した。曹操はその心を読んで頭に「漢之」を足して与えたら、関羽は「にこっ」と笑って「よくそれがしの胸中をお読みなされた」と言ってやっと受け取った。
この関羽像は髯が立派じゃないね。伝説中の関羽は美髯公と言われてもっと立派だって聞いているけど。
それまで曹操は多額の財宝の類を関羽のもとに贈り届けさしたりしたが、関羽は頑として受け取らなかった。でも何故、「漢の寿亭候」の称号を受け取ったかと言うと、漢という字にあったのだ。漢は主君劉備が漢の中山靖王(ちゅうざんせいおう)の嫡孫であり、漢の皇室から頂いたものであり、曹操から貰ったものではないからだ。
ただ、強力無双・万夫不当の呂布が乗馬としていた、赤兎馬(せきとば)(汗血馬(かんけつば)・一日千里を走る名馬とされる)を曹操から贈られると、「この馬があればご主君の元にすぐさま駆けつける事が出来る」と言ったそうです。曹操はこの関羽を慕うのですが、如何せん、心を変えられない事を痛切に感じるわけです。
時に、袁紹と曹操が戦闘する事になった時、劉備と関羽・甘夫人の立場は当然微妙になる。関羽は形だけでも曹操に恩義を感じていたので、何時か、これを返したいと思っていたが、逆に曹操はそう簡単に、返してもらいたくなかったのである。
袁紹(えんしょう)と曹操が対峙したときに,袁紹方に顔良(がんりょう)・文醜(ぶんしゅう)という猛者がいて曹操方の武将で敵う者がいない。この時こそ、恩義を返す時と関羽は出陣を願い出ます。
袁紹方と曹操方の兵が入り乱れて交戦している時に関羽が自慢の「赤兎馬」に乗って出馬すると、両軍さっと波が引くが如きに分かれます。
「お主が顔良か?」「おう、我こそは・・・」と、言い終わらないうちに関羽の大刀が一閃して鎧ごと叩き切ってしまいます。首を持って曹操の下に着いた時にはまだ、時のカネが3っ目が鳴っていなかった。
それに続いて仇討ちを願い出てきた文醜も一閃のもとに切り落とします。「人格、思慮、武術、共に関羽に並ぶ者無き」と称されて、万夫不当の勇を誇っています。
関羽で有名な話では、関羽の肘に毒矢が刺さり、名医華陀(かだ)が関羽の腕を押さえつけようとすると、関羽はその必要なしと碁を対極し続けますが毒に当たった肘の骨を削っている時も身じろぎ一つしなかったという事です。華陀が将軍のような患者は初めてです。関羽も「私も貴殿のような名医は会ったことが御座らん」「すると、さしずめ名医と名患者ですな」
また関羽の娘に呉候(孫権)との婚約話が持ち上がった時、「虎の娘をどうして、犬の子供に嫁がせよう」と言ったこともあります。
古より関羽ほどな忠義の士はいないと言う事で武人の鑑とされています。。横浜の中華街にある関亭廟(かんていびょう)はこの関羽を祭ってある事は有名な話ですね。
一口メモね。
息子もよく覚えているねえ。やはり相当読んだ口ですな。
オイラ的には趙雲が好きです。
「全身これ胆なり」うんうん、真の勇者ですねえ。 息子とはいい酒が飲めそうですなあ!。
>>本引っ張り出して読もうかなー?なんて(*^_^*)>>
COOさん聞きましたぞ!。(笑)読み返すなら、是非三国志購入してくださいね。言ったからには、是非読んで下さい。これは命令ですぞ。(爆)
まさか「ルパン3世」が出てくるとは思いませんでしたぞ。(笑)
>>ごめん隊参上ね。>>
これって、今の子等が言ってるんですか!?。
う~ん、何て読んだらいいんだろう????。
(たしか超は、趙じゃなかったっけ?どっちも同じかな?)
「子龍は一身これ胆なり」でしたっけ?
カッコイイですよね
でも、三国志演義や横山三国志と違って、史実の上では位階職位は魏延よりも下だったらしいです。
ショック
本によって書かれ方も違うかー?
あれこれ名前の出てくる人、記憶にあるけれど話がつながらない私です(笑)
本引っ張り出して読もうかなー?なんて(*^_^*)
たしか30巻くらいです(これまた微妙?)針さんの半分くらいの量だけど、読み返すのに勇気がいります(爆)
私の中では三国志の3人とルパン三世の3人がダブってしまいます(^^ゞ
関羽は次元だと思ってます(*^m^*) ムフッ
話を低俗化してごめん隊<(_ _)><(_ _)><(_ _)>参上ね。
豪邸に住んでて頭の良い針さんの親分さんに私も会ってみたいわ(^凹^)ガハハ