hiroshi hara: saxophoniste

日々の思考の断片

アンサンブルコンテスト二日目

2007-01-14 18:03:58 | 日常
今日は一日中クラリネットとサックスのアンサンブルを聴いた。

驚異的なレベルだった。
ちなみに私が中学生の頃など、半音階すらままならなかったわけで、そんな私が偉そうに審査などして良いのだろうかと思うこともあった。

とはいえ、同じ中学生でも大変個性的だった。

熱意はものすごく感じるのに、最後まで空回りしつづけた人。
さしてやる気がある訳でもなさそうだが(そんなこと無いだろうがそう見えた)、そつなく吹けていた人。
あまりの緊張に、音が出なかった人。
あまりの緊張に、爆音が出てしまった人。
メンバーを演奏でグイグイ引っ張っていた人。
メンバーから演奏でグイグイ引っ張られていた人。

当然ながら、楽器演奏は十人十色。
楽器や音楽との接し方や考え方もそれぞれに違うのだろう。
音楽や楽器演奏こそ自分の人生と感じている人もいれば、当然その逆で、音楽をする意味を見失ってしまっている人もいる。

そんな人間模様も観察しながら、三名から八名のアンサンブルを二日間聴いた。
疲れたが、とても有意義だった。


ところで、クラリネットは非常にアンサンブルに適した楽器だと思う。

音程、強弱の変化は抜群で、低音域から高音域まで均一な抵抗感、そして良い意味で音色が簡素だ。
同属楽器のアンサンブルでも、お互いを干渉することが無く、自然に溶け込める。
実はサックスでもそんな表現ができたらと、常々思っていたのだ。

そのためにはサックスの限界を踏み越えなければならない。
ただ真っ直ぐに息を入れるだけなのだが、それが難しいのだ。

アンサンブルコンテスト一日目

2007-01-13 20:17:25 | 日常
今日は東京都中学校アンサンブルコンテスト審査を行なってきた。
編成別にまとめているため、今日は金管四重奏、金管五重奏ばかりを聴いた。

金管楽器はとてもアナログな楽器なのだと、一日中聴いて感じた。
音程をつくりだすことや、そもそもその音に行き着くことも容易ではない。

そして、そもそも発音体は唇なので、決して金属的な音が出るわけではなく、楽器から出てくる音は声と同じで、個性的だということもわかった。

木管楽器と比べ、構造はとてもシンプル。
楽器を操り、良い演奏ができるかどうかは自分の技術と音感次第。
器楽奏者として至極当然のことではあるが、サックスばかりやっていると、そんなこと忘れそうになるときがあるのだ。

とても上手な学校が演奏したあとには、聴いていた他の学校の生徒たちがどよめき、感動した様子がこちらにも伝わってきた。
同年代の良き演奏は、何よりも大きな刺激になったことだと思う。

明日はサックスばかりの日になるそうだ。

終課業

2007-01-12 23:01:27 | 日常
今日も洗足で朝から晩までレッスンだった。
学事予定では今日が今年度最後のレッスン。
久しぶりにレッスン室不足で教員室がパンクしており、午後の空き時間に練習しようと思い、レッスン室を取ろうとしたが無理だった。

来週から様々な試験が始まる。
サックスの実技試験は来月なので、補講もする予定。
四年生の他門下の学生数名が、卒業試験前に私のレッスンを受けたいとのこと。
決して今習っている先生に不満があるわけではなく、うれしいことに私個人に興味があり、卒業するまでに一度レッスンを受けてみたかったのだそうだ。

洗足にはたくさんの先生がいらっしゃるので、学生もその気になれば色々な先生に習うことができるし、刺激を得ることができる。

今月中はレッスンが続きそうだ。

初課業

2007-01-11 21:42:00 | 日常
今日は洗足レッスン。
今日と明日は今年初で今年度最後のレッスンという、微妙な一週間になる。

副科の学生のほとんどは今日で終了。
主科の学生は試験前に補講を、一部の副科の学生は私が休講した分の補講を来週以降に行う予定。

学生にとってはこれから学科試験や実技試験などがある。
副科の音楽教育の学生に話を聞けば、介護実習やピアノ、歌の試験があり、音楽療法の学生に話を聞けば、音楽療法士の資格試験や卒業論文など、とてつもなく忙しい時期なのだそうだ。

そういえば私も尚美の学生だった頃、正月返上で、それこそ朝から朝までレポート類を書いていた覚えがある。
結局は今まで何も準備していなかったしわ寄せが、この年度末になって襲いかかって来る訳なのだが。
大変な時期ではあるが、その苦労が血となり骨となる。
風邪などひかずにがんばってほしい。

午餐会

2007-01-10 17:46:08 | 日常
今日は野中貿易の方々と昼食をご一緒した。
昨年の行事のことや楽器のことなど、いろいろお話しできて楽しかった。

セルマーは、ミュールが活躍していた時代から現在まで培われたサックスの老舗だ。
私がセルマーを使う理由は、この楽器を使うことにより、ミュールをはじめ、当時の奏者とのゆるやかな繋がりを感じることができるからなのだ。

その他、5月のフランスでの演奏会、マスタークラスのことや、今後の企画について、ご協力をお願いした。

実はここ数年来、東京でリサイタルを行ないたいと思っていて、それがそろそろ具体的に決まりつつあるのだ。
来年2008年の春~夏頃に行なう予定。
事務的なことも含めて、そろそろ動き始めなければならない。今から楽しみだ。

好敵手

2007-01-09 22:44:56 | 日常
一昨日林田さんとボウリングし、昨日は審査で終日コメントを書きつづけ、すっかり右腕が張ってしまった。
林田さんのボウリングの腕前はかなりのもので、もはや趣味の域を通り越している。
4ゲーム行い、私も林田さんから投げ方のレッスンを受けて、とても楽しかった。

林田さんとは尚美の学生の頃から仲良くさせていただいており、先日は林田邸に泊めていただいたことでおわかりと思うが、今でも公私共に大変お世話になっている。
学生の頃から、よく遊んでもらったり、仕事をしたりしていた。

林田さんのすごさは、ひとことで言えば分析力だと思う。
奏法に関して、細かな身体の使い方と、それぞれに及ぼす楽器や音への影響などを事細かに把握しており、しかし演奏は型にはまったものではなく、とても力強く、躍動的で誰よりも音楽的なのだ。
頭の回転も速く、譜読みもまた早い。

もう一つおもしろい点は、私と林田さんは演奏のスタイルが違うにも関わらず、アンサンブルなどで一緒に吹いても問題なく合ってしまうことだ。
昔はよくカルテットをさせていただいていたし、数年前、NHK-FMでヒンデミットの二重奏をご一緒したが、とても楽しかった。
そういえば、その収録時、林田さんは管打コンの予選真っ最中だったにも関わらず快く引き受けていただき、管打コンも見事第1位に輝いたのだ。

私と林田さんは、登山口や登山道が違うだけであって、おそらく目指している頂上や見えているものは同じなのだと思う。
mixi林田さんのページに、先日の模様が写真入りで載っているので、関係者はご覧になることができます。

下倉ソロコン

2007-01-08 22:34:15 | 日常
今日は彩の国さいたま芸術劇場にて下倉楽器ソロコンテストの審査を行なってきた。
さいたま芸術劇場は林田邸のすぐ近所なのだ。
今朝は朝食までご馳走になり、久しぶりに林田さんにはお世話になった。

毎年開催されているこのコンテストは実は2年前にも審査させていただいたことがあり、ある程度勝手知ったるコンテストなのだ。
朝9時半から夜6時半まで小学生、中学生、大学一般の部と聴かせていただいた。

全ての楽器が入り乱れて審査するので、木管だけでなく金管、打楽器と色々な独奏曲を聴いた。
埼玉県の小学校は金管バンドが多いとの事で、アルトホルンの独奏なども聴くことができた。

吹奏楽やアンサンブルとは違い、独奏とは文字通り孤独なのかもしれない。
個人がそれぞれの音楽に対し、たった独りで向き合っていくことは想像以上に大変だ。
ピアノとのアンサンブルにしても同様で、自分で主体的に音楽をつくりだして行かなくてはならない。

しかしそれを乗り越えたとき、そこからはじめて見えてくるものがある。

講習会2

2007-01-07 23:50:38 | 日常
今日は川崎にて講習会を行った。
川崎のいくつかの中学校が集まり、楽器別に講習を行うというものだ。

サックスの講師は林田和之さん、渡辺瞳さんと私の3人。

午前、午後と講習を行い、その後は解散となるわけだが、私は明日に埼玉で仕事があるため、今晩は林田邸に泊めていただくことに。

林田さんおすすめの焼き肉屋さん、ボウリングなど行い、久しぶりにしっかり遊んでしまった。

講習会

2007-01-06 20:22:16 | 日常
今日は久しぶりの講習会。
湘南学園中学高校へ伺い、サックスパートのレッスンを行なった。
曲の練習と、平行して基礎練習なども行なった。
この学校は中高一貫校で、部員が全体で70名以上いるそうだ。

昨年も二度ほど伺ったが、生徒たちは素直。音や演奏でわかる。
四月に行なわれる定期演奏会に向けてがんばっているそうだ。

久しぶりのレッスンで声を出しすぎて(というより声帯が貧弱すぎ)、喉が痛い。
明日も川崎で講習会がある。
あまり声を出さずに済むレッスンを模索中。

調整

2007-01-05 22:10:00 | sax関係
今日は某高校からのご注文で、テナーサックスを一つ選定してきた。

以前、楽器選定の項で詳しく述べたが、楽器本体を選定していく過程で、先天的に楽器が悪いのか、単に調整がおかしいだけなのか、その判断の難しいときがある。
今日吹いた楽器の中に、左手キー「1」と「p」の高さがバラバラで、非常に押さえづらい楽器があった。

鳴りは悪くなかったが、そのキーの高さのおかげで音の連結がうまく行かず、結局その楽器は間引いてしまった。

中高生やこれからサックスを始めようとする人が、その楽器を何も知らずにずっと使用し続けたら、きっとその楽器に毒されてしまうだろう。
指の角度や押さえ方も奏法の一つなわけだし。

新しい楽器は、使用し始めるとフェルトやコルクが潰れて硬くなるので、潰れた分、誤差が生じてしまい調整も狂いやすい。
買ったばかりの楽器は保証期間中はこまめにチェックしてもらった方がよいだろう。
シリーズ3など、一部シリコンを使用していて、その誤差が少ないものもあるが、それでも楽器やキーに馴染んでくるまでは注意した方がよい。

正月休み

2007-01-04 22:56:14 | 日常
今日までお正月のお休みをいただいていた。
ずっと家にいて、寝てご飯食べて練習して年賀状書いて考え事して過ごしていた。

これから演奏したいと思っているいくつかの曲を、このお正月に譜読みしていたが、目処が立ってよかった。
ずっと家にはいたが、練習していて楽しかった。
今年もこの職業を続けていけることに感謝。
収入は少ないが、ストレスは皆無で、人らしく健やかに営むことができる。

明日からまた忙しくなり、練習時間も限られてくる。
日々充実したと思えるようにがんばっていきたいと思う。

音のイメージ

2007-01-03 23:00:43 | sax関係
よく「出したい音のイメージ持って」ということをよく聞き、私自身も生徒に対しよく言ったりする。
確かに何の目的も持たず、出たとこ勝負で演奏してはまずいし、それでは楽しくないと思う。

ただ私自身については、あまりイメージを持たなくなり、練習では音程とイントネーションに重きを置くようになった。
ある程度、楽器をコントロールすることに慣れてきたのかもしれないが、それよりも、イメージを強く持ちすぎて偏った音になってしまうのが怖いのだ。

もう随分前になるが、昨年二月、アンサンブル・ヴィーヴォで久しぶりに現代作品を演奏させていただいた。
楽譜に書かれた細かい指示や微分音に伴い、デリケートな音程の操作など強いられ、当然ながらヴィブラートを伴ったクラシカルな音色を用いることができない。

そのとき感じたのが、これらの作品に求められるのは純粋なサックスの音であり、またドラマティックな、感情を込めた音ではなく、音楽に対し、サックスはあくまで素材として機能しているということだった。
従来の調性を伴ったクラシカルな音楽のように、場面に応じて音色を変えるといったことはなく、自分自身は「サックスの音」という一色のみでアンサンブルに関わっていた。

誤解を招かぬよう補足すれば、クラシカルな大局的な表現ではなく、一つの事柄を分子レベルで表現していると言えばよいだろうか。
その中ではサックスと言う一つの原子が色々な楽器と綿密に結びついて、一つの物質を創りだしているような感じだった。

ジェラール・グリゼイの最後の作品「境界の彼方への四つの歌」を演奏した際、所々楽譜に「四分の一音低めにチューニングして」という指示があった。
もちろんノーマルなチューニングに戻す部分もある。
四半音低めても、それでも微分音やノーマルな音を行き来し、音程にデリケートなことは変わらないのだが、それはおそらく意図的に音の焦点をぼかし、結果として音色の変化を指示しているものではないかと思われるのだ。

そのグリゼイ作品に触れたことをきっかけに、そのような効果を活かすためにも、プレイヤーが音色に対し余計に干渉してはならないのではないかと思うようになったのだ。

その後、音色に対しての価値観が大きく変わった。
楽器も声も同様に、持って生まれた美声と言うのは存在し、プレイヤーは切磋琢磨してその美声を獲得することは必要だと思う。
しかし大事なのは、音楽に適した音色をその都度選び、行き来できることなのだ。
そのためには、サックスらしい音、ニュートラルな音を知っていなければならない。

最近、私が楽器やマウスピースのサイズをころころ替えるのはそのためで、道具を替えても奏法や音色が変わらないように意識している。
違う言い方をすれば、楽器やマウスピースを替えても、変わらない奏法と音色というものを探しているのだ。

現時点では、道具を替えても変わらない部分が、すなわち「サックスの音」、「ニュートラルな音」なのではないかと考えていて、そこで得られる音を大切にしている。

技術

2007-01-02 23:51:13 | sax関係
今朝は四時に起床し、無事初詣を済ませた。
その後、今日もやはり練習していた。

指を速く動かすには、まず意識がその速さに追いついていなければならず、またアドレナリンが必須なのだが、最近ではより具体的に考えるようになってきた。

指は握る力と開く力、つまりキーを押さえ、放す力と速度が同じように整える必要があり、私はキーを放す側に意識をしながら指を動かしている。
また今日は特に左手の手の形に気をつけて練習した。

左手は全ての指を使用し、特に親指の位置、サイドキーを押さえる角度を整えることで、自分の持っているポテンシャルを引き出すことができる。
具体的には、個々の楽器、キーの形状ごとに微妙に違うので、最も動かしやすい形を自身で探し出すほかない。

あとは音スムーズに連結させるために、指使いや手の動かし方をそれぞれ工夫する必要もある。
シ♭(ラ#)、の指使いは複数あるので、やはりご自身で適切な指使いをその都度考える必要がある。


技術練習の一貫として「リズム練習」と称する、リズムを様々に変化させる練習方法があるが、私はリズム練習は行なったことがないし、自分にとって意味のないものだと思っている。
難しいパッセージを練習する際、ゆっくりから練習していくのはもちろんなのだが、その際、指や手の運び方に気をつけて、そのパッセージに対し、もっとも効率の良い動きや角度を考えるのだ。
身体の弊害を取り除いていけば、自然に指も動くようになるし、転んだりよれたりしなくなる。

「リズム練習」はあくまで私自身にとって必要ないと感じてはいるが、人それぞれの考え方の違いがあるので、一概には無意味であるとは言い切れない。

初詣

2007-01-01 23:13:10 | 日常
今年も実り多き一年になりますよう。

正月の初詣。
もちろん私も毎年欠かさず参拝している。
子供の頃から鎌倉の鶴岡八幡宮に行っているのだが、昼間はすさまじいにぎわいで大変なので、もっぱら夜になるのを待って参拝に行っている。
三が日はずっと開いているので、これから寝て、目が覚めたら(おそらく朝三時か四時頃)すかさず出かけるのだ。

昼間は自宅にこもってずっと練習していた。
普段の休日の過ごし方となんら変わらず、もはやまっとうなお正月の過ごし方ではないのだが、なにより人ごみが嫌いなのでしょうがない。

実はここ数年来、そろそろリサイタルを行いたくなってきて、少しずつ準備していきたいと思っているところなのだ。
その他、今年も五月にフランスを訪れ、マスタークラス、演奏会を行なう予定がある。

望みをあげればきりがないが、たとえ人それぞれ持っている能力や境遇が違っていても、望むことと生きることは別物であり、肝心なことは望んだり、生きたりすること自体に飽きない事なのだ。
何かに挑戦したいと思える事自体が、とても幸せなことなのだと感じるこの頃。