浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

介護

2015年07月04日 | 福祉
何年か前に「介ける(たすける)、護る(まもる)」という文章を書きました。
今、改めて「介護」の意味が問われようとしています。

高齢者に関わらず、子ども・障がい者など生活をするために周りの人の支えが
必要な人たちが事故や事件に遭うニュースが毎日のように報道されます。
そこには家族であるが故の善意の行動もありますが、悪意に満ちた行動も
多く見受けられることは間違いありません。

僕たち福祉に携わる人間としては、「介助」ではなく、「介護」と表現
されているのは何故かを今一度考えてほしいと思います。

何を護るのか。
きっと、それは身体的なものだけではないはずです。
そして精神的なものだけでもないはずです。
きっと、その人が積み上げてきた、あるいは積み上げていく人生そのもので
あるべきだと思うのです。

僕たちのような高齢者福祉の人間が関わらせてもらうのは、長い時間を生きてきた人たちです。
その人たち一人ひとりの物語があります。
波乱万丈の人生を歩んできた人もいるでしょう。
穏やかな人生を歩んできた人もいるでしょう。

その物語の終盤に脇役として出てくる介護者がすべきことは主役を介け、護ることです。

様々な物語があるけれど、その全ての物語にハッピーエンドを求めるのは介護者のエゴでしょうか。

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2 コメント

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Unknown (ピンク)
2015-07-05 05:21:23
どうしたのでしょうか? 忠告にも思うし 悲しみにも思うし 反省にも思ったブログに 捉えてしまった私です
私も介護の仕事に携わり 色んな事を学び 色んな事を感じました
若い時の栄光の話より 苦労の時代 食も恋も何もかもが 制限され 裕福な時代になれば もう高齢者
時に 生きている事自体の苦痛を お話しされる方もいます 頑張ったね 頑張ろうねの 言葉は 軽々しく使える物では 無いと思います
私は 中間年齢 あと半世紀どう過ごしていくのでしょうね
そして 子供達に 人生の先輩として 何を教えられるのでしょうか
でも この仕事をして 私は少しでも この人達の一瞬の思い出に残れてる事に 嬉しさと 感謝です
逆に沢山沢山勇気っけられてるのは きっと 私達ですよね
恩返ししなきゃね
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ピンクさんへ (はまとこ)
2015-07-06 22:23:10
最近の介護事故などの記事を読んだり、あるいは様々な現状を目にしたり、耳にする中で「介護のプロフェッショナル」とは何だろうかと考える時間がありました。

プロフェッショナルであるからには知識や技術が必要なのはもちろんだと思いますが、心構えの部分こそ大切ではなかろうかと思うのです。

そんなわけで自分の心の整理の意味も含めて、こんな記事を書いてみたわけです。
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