浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

ターミナルケア

2015年01月25日 | 福祉
今回はかなり重い話をしてみようと思います。
僕は仕事上、少なくないの人の最期を迎える時間を見てきました。
僕たちはどんなふうに見守り、支えていくことが出来るのでしょうか。


精神科医のE.キューブラー・ロスが死の受容5段階プロセスというのを示しています。

第1段階「否認」
自分が死ぬなんて何かの間違いではないかと事実を強く否定。

第2段階「怒り」
自己の死が否認できないことがわかると、見るもの・聞くもの・手に触れるもの等全てが、怒りや恨みの対象になる。

第3段階「取り引き」
神仏や超自然な力に対して『交換条件』のようなものを提示して、延命のための取引をし始める。
「神に生涯を捧げますので、病気を治してください」
「もし病気を治してくれたら、全財産を寄附します」など。

第4段階「抑うつ」
様々な取り引きを持ちかけるが、思い通りにならないことも多く、十分に安らかになれず、抑うつ的になってくる。「早く死にたい」「悲しい」「もう生きるのは嫌だ」など、悲観的な言葉が出る。

第5段階「受容」
怒りも抑うつもなくなり、自己の運命を冷静に見つめ、天命を待つという心境に至る。

このプロセスは本人を支える家族にも当てはまる気がします。
本人が意思疎通できない状態であれば、家族が判断することもあります。

もちろん、万人が同じような過程を過ごすわけでは無いでしょうが、死を受け容れる心のうちを知ろうとすることは大切なことだと思います。


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4 コメント

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Unknown (金庫番)
2015-01-26 06:27:00
キューブラー・ロスの死の受容は大学でも学びました。

ちょうど昨日、高齢者施設で働く友人がこんな話をしていました。

家族から施設で看取ってほしいと言われたことがある

私の仕事は高齢者分野ではないので、想像しかできません。

もし、自分や自分の家族がそうなったら…と想像してみようと思いました。

でもやっぱり、想像しただけで、理解まではできません。体験した人にしかわからないのだろうと思います。

そんな立場で、当事者にどう向き合っていくのか、共感したり相手の思いに寄り添ったりできるのか、葛藤していくのだと思います。

私には相手と向き合うことができるか…時々考えるときがあります。
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金庫番さんへ (はまとこ)
2015-01-26 21:01:19
僕たち(金庫番さんも含めて)のように、人の生き方に関わる仕事をしていると、「こころ」について無視することはできませんよね。
人には幸せに生きる権利と寿命を全うする義務があると思います。
その中で支える側が死を否定したり、生き方の善し悪しを判断してはならないとも思います。
人生の最期を一緒に過ごすわけですから、「終わり良ければ、全て良し」と思って貰えたら嬉しいものです。
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Unknown (金庫番)
2015-01-26 22:38:43
日々、生き方について考えることがたくさんあります。
それでも自分に余裕がないとつい、見逃してしまうのですが。
その人にとって何が幸せなのか、考えつづけていきたいです。
施設に来る人にとっては、もしかしたらここしか行き場がないかもしれません。
でも職員である私には、休暇もあり退職もあり、「逃げること」ができるのです。
このことは絶対に忘れずに福祉に携わりたいものです。

その人の人生に関わらせてもらえていることに感謝しつつ、相手に喜んでもらえたら支援者にとってはまた幸せなことだと思います。

こんな偉そうなことをコメントしてしまいましたが、普段の仕事ぶりとはギャップがありそうです…;;
口ばかりにならないよう精進します。

上司がはまとこさんだったらなあ、と思いました。
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金庫番さんへ (はまとこ)
2015-01-27 07:51:38
僕も偉そうなことを書いていますが、実際には思い通りにいかないことも沢山あります。
普段の僕の仕事ぶりを見ている人がこのコメントをみたらどのように思うのでしょうか・・・(苦笑)

でも金庫番さんが、福祉の仕事をすべき人なんだなぁというのはよく分かります。
自分の幸せではなく、人の幸せについて考えようとする人がいるなんて素敵じゃないですか。
僕だったら、そういう人のいる場所で身内を過ごさせたいと思いますよ。
『良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である』らしいですから、心に留めておきたいですね。
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