虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

大野苗吉 草の乱

2008-07-27 | 一揆
次は大野苗吉。
「天朝さまに敵対するから加勢せよ」。有名な言葉ですが、映画でも、はじめのほうに出てきます。若い俳優が演じていました。最後は銃撃されて死にます。最も戦闘的だった風布村とは、長瀞のあたりだそうです。わたしも長瀞では船に乗りました。

甲源一刀流と秩父事件(2)

つぎは、大野苗吉。
文久2年(1862)生まれだから、事件当時は22歳?かな。

寺尾五郎の「草莽吉田松陰」は次のような文章で終わっています。

「かつて松陰は、「恐れながら、天朝も要らぬ」と叫んだ。
いままた新しい主要矛盾、天皇制と全人民の矛盾にたちむかうち秩父の貧農大
野苗吉は叫ぶ。
「恐れながら、天朝さまに敵対するから加勢しろ」
と。ここに、松陰の革命思想が連結し、再生しているのだ。」

松陰の革命思想が秩父事件に再生しているかどうかは知らないけど、大野苗吉
が言った「おそれながら、天朝さまに敵対するから加勢しろ」の言葉にきっと
インパクトをうけたのでしょうね。

この人も甲源一刀流の逸見道場で剣を習った一人。大野苗吉は秩父の「風布村
(ふっぷ)」の人。この風布村の人達は、秩父事件を通して最も積極的に果敢
に戦い、困民党の中核になったっそうです。

秩父に長瀞(ながとろ)という景勝地(キャンプ場にもなってる。岩場が多
い)がありますが、東京の人はごぞんじですよね。埼玉には数少ない(失
礼)、東京からの日帰り観光コースの一つかも。わたしも昔、行ったことがあ
ります。でも、このあたりが、秩父事件に多くの参加者を出した「風布村」と
は知りませんでした。

さて、この大野苗吉。寺尾五郎は「貧農」と書いているけど、苗吉の家は中堅
農家で、むしろ「お大尽」の部類に入るそうな。農閑期に甲源一刀流を習いに
いってたらしい。前に話した新井周三郎とも親しい仲だったでしょう。

新井周三郎が斬られ、戦線をしりぞいたあと、困民党の本陣はくずれますが、
苗吉が周三郎にかわって甲大隊長になって指揮をとります。
村田銃をかまえた憲兵隊にむかって白刀を「すすめ、すすめ」と叫んで突進し
ていったそうな。消息不明。おそらく戦死したのでしょう。あるいは、どこか
で生き残ってるかもしれません。

甲源一刀流の剣客、まだまだいそうだけど、秩父事件はまだよく知りませんの
で(書いたこともまちがいがあると思う)、これで終わります。





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