らんかみち

童話から老話まで

防災士だったんだ!

2015年03月21日 | 暮らしの落とし穴
             

 災害は忘れたころにやってきて、防災士研修会は忘れかけたころにやってくる。フォローアップ研修会と銘打ってはいるけど、入院だのなんだので研修会に行けないと、自分が防災士だってことすら失念しそうになる。なんのためにフェイスブックやツイッターをやっているのやら。

ニシン蕎麦が食べたいのに!

2015年03月19日 | 酒、食
 初めて入った蕎麦屋で「うどんは無いんですか」と聞いたら、「うちは蕎麦屋や!」と店主らしいおじさんがぶっきらぼうに答えた。蕎麦屋の矜持っつうもんが強烈に伝わってきて恐れ入ったぼくは、とりあえず何か注文しなくてはいけないと焦り、ニシン蕎麦というのを選んでしまった。

 ニシン蕎麦なんて聞いたことが無いというか、蕎麦を食べるのは大晦日だけという地域に育ったので、ニシンの身がデデンと横たわっている丼を見て驚愕した。しまった、店主を怒らせたので嫌がらせをされたか? が、幸にも店内には同じのを食べている客がいたので、安心した。

 そもそもうどんを食べたかったのであり、蕎麦の味なんて分かりはしないのだけど、ニシンの味なんてもっと分からない。甘くて魚臭くて骨がある、何か違和感の塊みたいなものを食べている気がした。関西の人は奇妙なものをたべるんだなと、変に感心したのを覚えている。
 あれから20年後には自分で蕎麦を打つことになるんだから不思議なもんだ。それどころか、無性にニシン蕎麦を食べたくなることがあるんだからおかしい。

 蕎麦に載せるニシンは身欠き鰊というものを水で戻し甘辛く炊いてあるらしいけど、ニシンそのものが当地では手に入らない。昆布巻きニシンの缶詰を見かけるのがせいぜいだ。というわけで、初志を蔑ろにして焼き鯖そうめんならぬ焼き鯖蕎麦でも作ってみるか。

立山、純米ですか?

2015年03月18日 | 酒、食
             

 ずいぶん前のことだけど、いまだに忘れられない酒の銘柄がある。仕事で会社の人たちと富山に出張してホテルに着き、とりあえず一杯やろうとなってホテル内のレストランへ。
 せっかくだから富山の地酒を飲みたくて「立山の小瓶を一本」と女給さんに注文したら「純米ですか」と聞かれた。メニューには純米もあったけど、高い値段に設定されていたので「いや、普通のをお願いします」と答えた。

 たいていはそこで「畏まりました」だろうが、そのおばちゃんは、また「純米ですか」と聞き返してくる。「いや、本醸造の方をお願いします」と答えたら、また「純米ですか」と聞き返された。
「純米じゃない方を」と答えたら、またもや「純米ですか」と聞き返してくる。これはもう純米しか出さないつもりだと悟ったので「もうええわ、純米にして」と観念したら、会社の連中に大笑いされた。

 あのときの「純米立山」の味は悪くなかったけど、「女給にカモにされた情けない男」というレッテルを貼られ、一月ほど語りぐさになっていた。それも今となっては楽しい思い出だけど「純米立山」に対するコンプレックスがどこかに残っていたか、これを飲み干さなくてどうするよ! みたいな勢いで4号びんを買ってしまった。
 百名山の一つである立山を名に冠しているだけあって、クリアでありながら深みも持ち合わせている。これはやっぱり「純米ですか」ね。
 

島は霧に包まれ

2015年03月17日 | 暮らしの落とし穴
          

 島民の悲願であった架橋が成り、霧の日でも通学や通勤に支障が出ることは無くなった。たった一度だけど学校から帰れなくなって親戚の家に泊めてもらったこともあったな。思えばずいぶん便利になったけど、正直いえばフェリーが欠航したら学校を休めたので、それはそれで遊ばせてもらえる嬉しい一日ではあった。

「橋が架かって良いことより悪いことの方が多い」という意見は尊重できるけど、助からない命が助かるようになった数字を、ぼくは知らない。そういうケースもあるはずでしょ? そりゃあ橋の上で事故ることもあるけど、海難事故に比べたら深刻じゃない。

 泥棒が増えたというけど、被害額は振り込め詐欺に比べたら微々たるもの。島に暮らす人が不平をこぼす理由は、少子高齢化による人口減少、橋の通行料金と、昔は良かったというノスタルジーじゃないかな。

 朝から霧笛が聞こえていたけど、すごい霧だったからね。海の上はもっと激しくて、数メートル先が見えない瞬間もあった。昔なら学校を休める素敵な日だけど、今は雄大な風景楽しめる。橋の架かる前はこんな写真は絶対に撮れなかった。やっぱり経済成長によるありがたい時代なんだよ。

夢を書き留める技術

2015年03月16日 | 暮らしの落とし穴
 夢って、自分の知識の範囲とか経験上の範囲で見るんじゃないかと思っているけど、それだけでは説明できないこともある。
 今朝見た夢は、漁師の網にかかったダイオウイカの触手の先が人間の手みたいに五つに分かれていて気持ちが悪いという理由で、ぼくが払い下げてもらった。

 ま、だいたい、水関係の夢を見るときは膀胱が限界に達しているとき。それを夢の中でも理解していながら、なおかつ続きの夢を見続けたいと願うほど興味深い物語だった。
 これが書き起こせたら面白い物語になるのにな、と思うのは幻想で、物語を書くのは技術。あ、その前に、面白いものを見つけられる感性かな?