らんかみち

童話から老話まで

さよならの夏もそうだけど、子どもらしい選曲とは

2011年09月20日 | クラシック音楽
 ついこの前まで「トイレの神さま」だったように思うけど、今は「コクリコ坂から」のテーマ曲「さよならの夏」がスーパの店内で聴けます。なのでYoutubeに頼らずとも、あるいはCDなど買わなくても十分に堪能できますね。

 もう一つ良く聴かされるのは、ラフマニノフの「鐘」でしょうか。これは浅田真央ちゃんが流行らせたんでしたね。
 どうしてそんな暗鬱な曲で滑るの! そう感じたのはぼくだけじゃないと思いますが、この曲を演奏したがる子どもが増えたというのです。もっと子どもらしい選曲がありそうなもんですがねぇ……。

   Rachmaninoff 前奏曲嬰ハ短調OP3-2鐘 ラフマニノフ 11歳

鬼と花の命は短い

2011年09月19日 | 酒、食
   


 コンビーフ赤鬼風を雑に作ったので、スパム桃太郎風は花に見立ててみました。といっても、どちらも撮影直後に玉子をスクランブルして食べるので、桃太郎花の命はとても儚いのです。いや、スパムはチンしても芯がしっかりしていて混ざりませんから、赤鬼の命は桃太郎のそれよりずっと儚いのです。

「赤鬼風」という下手なネーミングは、場末の飲み屋で夜ごとこれを食べていた赤鬼氏にちなんだものです。その赤鬼氏、会社の社長に楯突いて原発労働を命じられたらしく、以後の消息は不明となりました。鬼の命は、いつの世も儚いもののようです。
 

体に悪い桃太郎

2011年09月18日 | 酒、食
   

 たまには体に悪いもんでも食ってみるかと、コンビーフ赤鬼風。コンビーフそのものが高塩分、高油脂分なのに加え、玉子の高コレステロールなどあしらってみました。電子レンジで加熱しただけですが、これだけでも味が濃いのでビールもどきなどゴックンのお供になります。

   

 当地ご自慢の「焼き豚玉子飯」も、我々の世代が弁当にするには体に悪そうな気もしますが、スーパーにて普通に買えます。コンビーフ赤鬼風と似てますよね。それなら焼き豚の代わりにコンビーフを敷いたら……ご飯と合いそうにないのでやめておきます。

 そんなこんなで、明日はコンビーフに代えてスパムで赤鬼風を作ってみたいと思いますが、スパムは桃色で決して赤くは見えないから、桃太郎風? 鬼退治を企てるつもりなんですが、いずれにしても体には悪そうです。

自作パソコンに引導作法

2011年09月17日 | PC WEB
 ノートパソコンは静かに使えばなんとかなるんですが、自分で産んだパソコン「Soyotian」は物理的に逝ってしまったようです。
 行くときはキュウリの馬に乗ったようですが、帰るときにはナスの牛にでも乗っているのか、一日千秋の思いで待ちわびても影すら見えません。

 二つあるハードディスクのうちOSをインストしている方が完全に動かなくなり、もう片方にOSをインストしようと試みたんですが、こちらも要介護状態のようで、ほとんど言うことを聞いてくれない。外付けハードディスクのケースに入れてみてもCドライブは見えない。

 重要なデータは入れてなかったので救出に躍起になる必要もないんですが、ぼくより高いスキルを持っている人がSoyotianを生き返らせたら個人情報は丸見えになるじゃないですか。捨てるにあたって、データを消去してからにしたいのです。
 つまるところ、捨てるためにSoyotianを生き返らせようとしていたのですが、ああなんだ、生き返ったら捨てることもないじゃないか! 

 ジレンマに陥ってくよくよするくらいなら金槌でガツンとやれば話は早いのですが、長い付き合いなので未練がましくもなろうというもの。我が子を手にかけるようで忍びない。
 だけど、ハードディスクだけが問題ではないかも、という症状もあり、この際だから般若心経を唱える引導作法にて送る(市に出せないのでパソコン廃棄業者=無料)つもりです。来年のお盆には……帰って来れないねぇ。

悪いことは重なる!

2011年09月16日 | PC WEB
 3台のパソコンが次々と壊れるなんて、グランドクロスの日に天中殺と大殺界が同時に巡ってきたとしか考えられないぼくですが、大人げないので公の場では口にしておりません。

 そもそもの発端は、昨夜パソコンを起動した際インターネットのモデムがハングアップしたことによります。いつもなら電源を落として再起動すれば回復するんですが、今回ばかりはいうことを聞いてくれません。そればかりか、メインで使っているパソコンまでがフリーズする始末。

 フレッツに電話する前に、モデムの故障であることを確かめようとノートパソコンを起動したまでは良かったものの、持ち上げた瞬間に電源が落ちました。以前より健全ではないと薄々感づいていたのが、ダメなんだとはっきりしただけのこと。
 ならばもう一台のデスクトップで対処しようと起動したんですが、モデムの設定をやっているうちに突然のシャットダウン。以後、二度と立ち上がってくれませんでした。

 これで気がついたのは、ネットにつながらないと何もできなくなってしまっているということ。昔なら広辞苑を机の上に常備して置いたのに、今じゃ辞書の引き方すらおぼつかないありさま。当然ながら百科事典もありません。パソコンのトラブルもネットで解決方法を検索できるけど、そのネットが使えないとどうにもならない!
 
 インターネットはつながって当たり前と思っていますから、つながらなくなったときのことを普段は考えていないんですよね。今回はさすがにスマホを真剣に検討しました。でも今朝になってモデムとメインのパソコンが回復してみると、喉元を過ぎた気分です。

 それにしてもこの豪雨! グランドクロスと天中殺と大殺界……。和歌山の土砂ダムの決壊が気にかかります。会社員やってたころ、あの辺りが担当だったもので。

うそばに再挑戦して勇み足

2011年09月14日 | 酒、食
   

 なんじゃこれは、うそば? 何もいわないで客に出したなら、ぼく自身が珍獣扱いされそうな、鍋焼きうそば。表向きはうどんですが、手の平を返せば蕎麦になるという裏切り者。
 自分でも作って食べたことはあるけど、そりゃあ見事にすべりました。「うどんと蕎麦を同時に味わいたいなどという、さもしい根性をたたき直してやる」と、厳しく糾弾された屈辱を、泣きながら味わったもんです。

 プロが作るのならそんなに変なもんじゃなかろうと姉に探してもらったんですが、すぐに食べる度胸はありませんでした。本日ようやく意を決して鍋焼きうそばにしてみましたが、歯ぬかりのする粉っぽい麺は自分で作ったのと似ていました。
 自作のうそばは二八蕎麦とうどんを貼り合わせたので、蕎麦の風味がうどんのそれを駆逐してしまいましたが、これは蕎麦臭さはありません。ほぼ、うどんといってかまわないと思うのですが、そばの茶色に裏打ちされ、うどんのように透明感はありません。視覚的に濁ったうどんを食べたい、あるいは目隠しをして食事をしたい向きにはお勧めです。

 うそばをこき下ろしているように聞こえるとしたら、それはぼくがうどんだと思って食べたからです。蕎麦だと思って食べたらもっとがっかりするでしょうが、うそばだとの認識で食べたなら、これは美味しいと思えたでしょう。
 一つ申し上げておかねばならないのは、うそばに付属してきた汁を使っていないし、メーカー推奨の食べ方もしていません。うどんの土俵に上がらせてみたら、「うどんではない」と、ぼくの勇み足で負けただけのことです。

注射とグロンサンを頼りながら

2011年09月13日 | 暮らしの落とし穴
 嫌がりながらもデイサービスのバスに何とか乗り込んでくれた母ですが、帰ってきたらやっぱり「もう二度と行かない」とグレてくれます。どうやら「子どもがするような、グーチョキパーをさせられる」のも面白くないようです。

 それでも回復の兆しは見えます。おかしなやり方だけど洗濯物を干したりできるまでには良くなりました。ただトイレの心配は相変わらずだし、寝ていて目が覚めても朝か昼か夜かも分かりません。食欲もあまりないうえに、入院してから嗜好に変化があったのか、にぎり寿司ならどうにか食べてくれます。

 明日は診察日ですが、アルツハイマーの薬も痛み止めも一切飲まないので、病院での諸々の注射とグロンサン内服液だけが頼りです。

パンプキンスープ初体験

2011年09月12日 | 酒、食
 絵的にどうかなと恥を忍びながらパンプキン・スープの写真。たくさん出来たカボチャを食べ切れないと嘆いたいたら、「スープにするのが最も消費できるでしょう」と教えてくれる人がいて実行したのです。
 例によってWEBで検索したら色んなレシピが出てきて、迷ったあげく皮をむかず圧力鍋→裏漉しのレシピに従ってみたものの、大失敗! 裏漉しでは中華スープの油分と水分が分離してピューレ状に出来なかったのです。

 あのレシピ、自分で満足できるから紹介してるんだよね? どこがいけなかったのかなと、本日は皮むきしたカボチャとみじん切り玉ねぎに中華スープで味をつけ、圧力鍋で焚き上げてからミキサーにかけてみました。おお、見事にホモジナイズされるではありませんか。
 牛乳を混ぜて煮込み、塩胡椒などで味を調えてみたんですが、こんな味じゃ金はもらえんぞ! たぶんカボチャそのものに問題をかかえいるのと、中華スープをブイヨンにすべきかと……。

鉢呂さんには同情を禁じ得ない

2011年09月11日 | 暮らしの落とし穴
 大臣になりたてというのは気分が高揚しているのか、失言や放言の類がボロボロ出るものなんですね。市長に魔が差した話してしまったぼくとしては鉢呂さんに同情します。「死のまち」発言はメディアに刷り込まれてのことでしょうから。
 飼い犬が痩せこけてうろついている、牛舎で牛たちが餓死している、というような映像を週刊誌などが掲載して「死のまち」の印象を発信したわけです。

 メディアは良くて、経産大臣はいかんというのも変な話ですが、残念ながらダメなのです。「悪気があっての発言じゃなかろう」との意見もあるでしょうが、悪気があって言われたらたまったもんじゃない。
 うちにくる例のケアマネさんが「お母さんが死んだときのことを考えて」とか、「お婆ちゃん、来年のことは分からんのだから、今日のことだけ考えよう」とか、「ピンピン生きて、ポックリ死にましょう」みたいな発言したのと似てますね。悪気があってのことじゃないんですな、これも。

 正直に告白するなら、母の名義になっている口座など諸々のことを生前に移動させておこうか、などと心の底では案じております。しかしそういった話は我々子供らのだれも切り出せない。そんな段階ではないと願っているし、なによりも考えたくないことだからです。
 それをケアマネさんの口から聞かされるとね、やっぱり不愉快なんですよ。分かってはいるし正論だけど、当事者意識を欠いたあんたにいわれたくない!

 福島第一原発周辺の町から避難している人たちは、10年は帰れないかも知れない、と心の片隅では意識されているだろうし、家畜やペットたちの死に絶えた町であることは、どこの人よりも認識した上で傷ついておられるはず。
 だからこそ「死のまち」などと、原発禍の痛みを共有していたら出るはずのない、報道が煽るような言葉は聞きたくないのです。「放射能をつけちゃうぞ」みたいに、風評被害を助長しかねない発言も言語道断だけど、それ以前の話でしょう。

 9.11から今日で10年が経ちました。あの事件の数日後、とある病院に電光表示装置を納品したんですが、病院側の選択したスクリーンセーバーに、倒壊した世界貿易センタービルの映像が使われているではありませんか。夕日に2棟が映える美しい写真でしたが、患者さんの目に入るものなので差し替えていただきました。
 あのときは神経質すぎたかなと少々悔いたし、今回のこともスピード辞任すべきだったのかどうか、ぼくには分かりません。二つの失言のうちどちらか一つだったなら、あるいは……。

情報操作にうんざりして

2011年09月10日 | 暮らしの落とし穴
 地デジ対応の中型テレビを母に譲り、テレビのない生活が続いておりましたが、パソコン用チューナーと母の観ていたアナログ14インチテレビを兄がつないでくれたので、ようやく以前の状況に戻りました。

 母には大きな画面の方が見やすかろうと思ったんですが、入院中は共同テレビを観ることもなく、退院してからもテレビを観ることが煩わしいようです。
「相撲が始まるみたいぞ」といえば、ようやくテレビのスイッチを入れたんですが、相撲中継ってやるんだろうなぁ……。

 なぜテレビを観なくなったかというと、「箱の言うことなんか信じられるか」とおっしゃる人がいて、ああそういわれたらそうかな、と思ったからです。
 スポーツなら結果が全てなんだから情報操作なんかされないだろうと信じていたのに、某テレビ局は浅田真央ちゃんよりもキム・ヨナちゃん寄りの中継をして非難されているのだとか。今思えば昔の相撲解説もどうだったのか、最近は相撲も観ないのでさっぱりですが。

 箱の言うこともだけど、網の言うことも眉にツバをつけて読むのが良いと思います。先日、同級生の始めたうどん屋に行ったんですが、ネットの評価を読むと悪く書いていないんです。素人のぼくですら、こいつには手取り足取り教えないとダメだな、と危機感を覚えたほどなのに。それをそのまま書いたら営業妨害になるのかどうか、☆三つなんて、ありえねー!

 そういうことで、あの系統の紹介ブログは開店時間とかの情報を得るだけにとどめることにしました。ネットに氾濫する家電製品の「満足度」も似たようなもんです。店頭で店員さんに話を聞き、自分で見て触って自己責任で判断する。結局は人とのやりとり、という原点に回帰するしかないようです。