らんかみち

童話から老話まで

肩凝りは歯を疑ってみろ

2010年12月20日 | 暮らしの落とし穴
 モミ爺のお世話にならず肩凝りを自分でメンテナンスできるようになったといっても、肩凝りそのものを解消できたわけではなかったんです。朝目がさめても肩は凝っているし、座っているだけでも凝る。いわんや電動ろくろにおいておや。難しい作品に取りかかると1時間で歯が浮いたような違和感を覚える有様でした。

 いろんなものを疑ってみました。枕でしょ、肌着でしょ、パソコンでしょ、メガネでしょ。どれもこれも疑わしくはあれど断罪とまでは言えない推定無罪で、最後に残ったのは歯でした。残ったというより、これだけは間違っていてくれ、と神にも祈りたい思いで歯医者に出かけたのです。あれは海老蔵さんが歯を折られた翌日でしたから、清水治療を受けてきて今日で24日目、ようやく満願を迎えました。

 その結果、あれほど頑固だった肩凝りがすっかり消えてしまったんです。左の奥歯1本を失い、右の奥歯に穴を開けて死んだ神経を掻き出して封鎖し、隣の歯と接続するという荒療治の末のことでした。
 治療の劇的な効果には自分でも驚いてます。歯医者の回し者じゃないけど、肩凝りに悩む人は噛み合わせの調整とか、何もなくても半年に一度は受診するのをお勧めします。枕に大枚をはたくつもりなら、ほら、だまされたと思って、ほら……。

本日の仕出し料理

2010年12月19日 | 酒、食
 かしわ手を打って窯出しに臨んでだけど、う~んイマイチの出来具合にがっかり、ではあるけど歩留まりは90%でした。つまり使えないものは20個のうち2個だけだったという意味です。しかし使いたくないという意味なら、100%ダメだったんです。
 これってどうよ、クリスマスプレゼント? もらった人は困惑するんじゃないか、などと自問自答しながらも、今のぼくにはこれが精一杯だわ……。

           

 写真は窯出しホヤホヤの皿に、地域のボランティアが作るお年寄り向けの料理を盛りつけてみました。本来は折り詰め弁当の形式の仕出し料理としては素晴らしいもので、一品一品を味見してもお金を取れるレベルかなと思いつつ、来年からはメニューに口を出させて頂くつもりです。

           

 美味しそうに見えますよね、実際に美味しいのに、これを年寄りに出して完食は無理です。結局は持ち帰って食べることになるんですが、冷めてしまってはせっかくの料理も台無しでしょう。
 ボランティアのおばちゃんたちに反発されることは覚悟の上だけど、今のままでは作る側もいただく側も幸せだとは思えないので、新しい道を模索してもらいたい。料理の技術が素晴らしいのは理解できるんですが、それをひけらかしてほしくない。

 なんかね、作っている側も年寄りなのに、それを認めたくないって頑張っている気がするんですよね。そこんとこ解放してあげたいのですが……まあ無理かなと怯んではいるけど、やってはみます。

コンビーフ赤鬼風

2010年12月18日 | 酒、食
 とある大企業の謝恩忘年会に招かれたとき、マグロの刺身を造る職人さんの包丁さばきが美しく、あれが赤身で、こっちは中トロ、それから大トロか、それにしても包丁の柄があんなにすり減っているなんて、いや大したもんだ。
 そんなこと考えながら立ちんぼしておりますと、「いつまで見てんだよ、あっちけシッシ!」という意味だったのでしょうか、頼みもしないのに大トロを皿に盛りつけてくれました。

 マグロを嫌いなわけじゃないけど、刺身で美味しい魚はほかにいくらでもあるだろうに、というスタンスです。だからあのときのマグロの種類は食べても分からなかったし、脂っこくて完食するのに往生しました。大トロって、やっぱ猫またぎだわ。

 今夜の酒の肴は「コンビーフの赤鬼風」です。今日はほうれん草の茹でたのを敷きましたが、キャベツの千切りなどを敷いた上にコンビーフを並べて赤鬼の顔に見立て、真ん中に目玉となる生卵を割り入れて電子レンジにかけます。卵の白身が変色し始めたら取り出し、七味をふりかけていただきます。醤油をかけてもいいですが、ニュー・コンビーフと呼ばれる紛い物が良く、本物のコンビーフは加熱時の牛臭さが気になるかもしれません。

 赤鬼の目玉をイメージした分かりやすいネーミングですが、本当は見た目の印象とは関係なく、場末の飲み屋で「赤鬼」とあだ名される労働者が毎晩これを食っていたのです。赤鬼の亡き今でも、場末の飲み屋で「コンビーフの赤鬼風」とオーダーしたらこれが出されるはずです。大トロなんてぼくには似合わない。こっちの方がよっぽど酒がすすむのです。

島興し僧正効果

2010年12月17日 | 暮らしの落とし穴
 お爺ちゃんたちとの窯焚きを終えて肩の荷を降ろした矢先、とある企業から面会の申し入れがあったけど、来週は時間が無いってぇ! 年賀状も印刷してないばかりか、しかるべきお方に年貢も納めて、じゃなくてお歳暮も納めていないのです。そこへもってきて島興しプロジェクトに向け、お代官様と会談しなくてはいけないのです。

 プロジェクトの概要すら明らかにできませんが、限られた予算の中で運営していくには自分たちのスキルを当てにするしかなく、仮に3つのプロジェクトが並行して動き出したなら、それらの負荷の多くはぼくにのしかかってきます。そりゃそうだ、自分でやれて自分のやりたいことを提案したんだから。
 しんどい話だけど、3つのプロジェクトは同時に進めてこそ相乗効果の期待できるもので……お、そうだ、僧正たちも巻き込んでやろっと!

要釉斎先生の最後の授業

2010年12月16日 | 陶芸
 中学の教壇に長く立ってこられた要釉斎先生にとって、子どもたちに陶芸を教えるのはライフワークというより生きる糧なのか、それとも使命感に突き動かされているのでしょうか。ひょっとしたら大好きな土いじりを子どもたちと一緒にやりたいだけか、それはともかく88歳の今日まで毎年欠かさなかった行事がまた巡ってまいりました。

          

 中学生に陶芸指導した後は素焼き作品に釉薬かけです。ぼくの作品中、3枚の皿にクラックが入ってました。半磁器土というのは急激な温度変化に弱いと、前回の本焼きで気がついてはいたけど、要釉斎先生の意見も尊重させていただいた結果がこれです。明日は慎重にやらないと、プレゼントの数が足りなくなりそう、というよりも全滅の恐れあり。そうなったときのてめに別のプレゼントも用意しておきました。

 夜は地域活性化協議会に招かれ、あれやこれやと意見を申し上げました。地域の要人が集まる会なので、物を言いすぎて嫌われてないことを祈ります。

酒の池地獄のち窯地獄

2010年12月15日 | 暮らしの落とし穴
 怒濤の3連続酒池肉林! といっても爺ちゃん連中の肉林ですからねぇ、いや参った参った。3日間は酒の池地獄に溺れ、今日は地獄の業火に焼かれました。

          

 この大宴会場で自爆テロでもやられた日にゃ今治市の行政は大混乱をきたし、円は大暴落の上に……っつうか、ホンマに警備は大丈夫なの? ボディチェックとかされなかったけど、要人また要人で立錐の余地もない中に、ぼくみたいな不用心な輩が紛れ込んで良かったんか知らん!

          

 料理はバイキング形式と呼ぶんでしょうか、瀬戸内のバイキングをイメージして海賊盛りって洒落てるわけ?

          

 宴の後はダブルの部屋、チョー気持ちいい、というよりこんな部屋に独り寝ってのは却って侘びしさが募るじゃないか。宴会で意地汚く飲み食いして粗相でもしたら損長として申し訳ないので、後ろ髪は引かれるけど早めに部屋に入り、ウィスキーのミニ瓶2本と小缶ビール2本を、自腹だろうか? などと気に病みながら飲んだわけですが、サインだけでオケ。だったらもう2本くらいいっとくんだったかぁ。

 翌日、つまり昨夜は今年初の忘年会と同じ民宿で全く同じ料理だったのなら見るべき物なし。で今日は要釉斎先生とその弟子たちを率いて今年最後の窯焚きですが、要釉斎先生は「死ぬ、死ぬ」とおっしゃいながら思うようにして下さるので、不完全燃焼のトラブル発生! 自分のために焼いているのなら失敗を恐れることは無いのですが、ぼくの作品はクリスマスプレゼントに使うんです。

          

「ムムゥ、ワシは窯焚きひとつできんようになったんか!」と落胆なさって気の毒だし好きなようにさせてあげたいんですが、他の方の作品も預かっているだけに毅然とした態度をとらせていただきました。
 明日は要釉斎先生の、中学生を前にした最後の陶芸授業かも知れません。後継指名されているぼくとしても心して受講させていただく所存にございます。

使える議員さんは使わせてもらいます

2010年12月12日 | 暮らしの落とし穴
 茨城県議員選挙の候補者が殺されたらしい。今の日本にあってなんて何という暴虐! 言論の自由もないどこぞの大国や独裁国家みたいなアナクロニズムが横行しているなんて、日本は発展途上のそしりをまぬかれんのかなと思いますね。暴力は論外の外だろうが!
 たしかにモノをはっきり言わないと他人には伝わりにくい。利害関係のある相手に「察してくれ」と言うのは、猫に「ワン言と吠えてみい」と強要するのに等しく、何の生産性もない。だからといって猫を締め上げてもワンとは決して吠えることはないじゃないか!

 某県会議員の会合に顔を出しました。政治家という人種には面と向かってはっきりモノを言わないと伝わらないんじゃないかと常々思っていたので、会合の始まる前に15分くらい先生ゑと面談しました。
 ぼくの言葉が説教に聞こえたか彼女は頭を下げたけど、猪突猛進する政治家を責めるつもりは毛頭ない。権力には堂々と立ち向かってほしいけど、それぞれの立場も理解してもらいたいだけなのです。
 

 会合で出された料理は思っていた通りショボイもんでした。参加者を見る限り洋風料理である必要はないと思えましたが、主婦に受けるのかも知れませんね。
 料理から勝手に類推させていただくなら、先生ゑを取り巻くスタッフに問題が無いとは言えない。それでも今後とも支援はさせていただく、モノを言わせていただく、使わせていただく。先生ゑのような議員さんは、そう多くないのです。

自前の釉薬を作ります

2010年12月11日 | 陶芸
 明日からの一週間は自分の時間というのが無く、常にだれかのために動かされる日々を迎えます。焼き物も三人を率いて二つの窯焚きをすることになりそうですが、まだ自分の作品ができておりません。何も考えずにス~イス~イとできるなら苦労はしないけど、前回と同じ轍を踏むんじゃないかと怖じ気づいて腰が重いんです。

 前回はトルコブルーとペルシャブルーを間違えて釉かけして失敗したけど、釉薬屋さんも両者を混同しているケースもあって、釉薬屋さんに電話したらスッキリしました。クラブがあちらこちらのメーカーから取り寄せるので訳がわからなくなっている。こうなったら失われかけている釉薬調合技術に光を当てて自分たちで作るしかないのかなと、来年から実施する予定です。

本日の施行は、包丁を研ぐおじさん

2010年12月10日 | 暮らしの落とし穴
 ボランティアで助けに来てやっているんだから俺たちの言うことを聞け、と指図された被災地の人がブチ切れた話を聞いたことがあります。「金にもならんのに来て下さってありがとう、なんでも言うこと聞きまっさかい」と、全ての被災者が合掌礼拝する心境になれたら良いのですが、たとえボランティアといえど高飛車で恩着せがましい態度に出られたら反発したくなるのも理解できます。
 そこへいくと当地のような遍路ゆかりのお接待は「させていただきます」の精神もすがすがしく、見返りを求めない大らかさに横溢しております。というわけで、本日の施行は「包丁を研ぐおじさん」です。

               

 写真は元料理人のお爺ちゃんが、公共施設にある料理教室の包丁をボランティアで研いでいるところです。ぼくも弟子入りして研がせていただきましたが、純然としたボランティアというよりは、料芸クラブが我が物顔で料理教室を出入りする罪滅ぼしの意味合いが濃いです。散々人を殺めた悪人が改心し、洞門を掘らせていただく心境に近いでしょうか。

 包丁って毎日研ぐなら1回につき数十秒で良いらしいけど、週に1回だと2、3分かかり、月に一度だと5分程度かかるそうです。毎日研げと言われても料理人じゃあるまいし、いつでも研げるよう流し台に砥石をセットしている家庭ってどれくらいあるだろう。

 ぼくの包丁も持っていってたので教わりながら研いでみたところ、なんと良く切れるじゃありませんか。今まで良く分からずできなかったことが、ちょっとしたコツを教えてもらうことでやれるようになりました。
 それにしてもやけに親切に教えてくれるなと感謝しつつ、ふと気がついたら、じゃあ次回からはお任せね、みたいな雰囲気に、しまったー!

忘年会にはイギス豆腐

2010年12月09日 | 酒、食
 今年2回目の忘年会は……って、うどんかよ! 「予算が無くなったので、これを以て忘年宴会とします」
 本日の料芸クラブは実に質素なというか、みすぼらしい料理で幕を閉じました。売上金をカニ食い放題の旅行なんぞに浪費したツケが回ってきてこの体たらくです。1回目の忘年会が豪勢なものだったので、あまりな落差に言葉も表情も失ってしまいましたが、自分たちで作ったなら不平を申す輩はおりませんでした。

 うどんの隣にちょこんと控えているのは、今治名物イギス豆腐です。イギスというテングサに良く似た海草を海岸で拾いまして、良く水洗いしたのち天日干し、これを数回繰り返すとヒジキのような色をしていたのが白くなり、乾燥させて保存します。市販もされているのですが、海の雑草のくせに高価なんです。お盆の時期になりますと、スーパーにはイギスが所狭しと並び、その横には生大豆粉が手を携えて買われるのを待っております。

 作り方ですが、イギスを水で戻し、熱を加えていくとテングサのように溶けてきます。イギスが高価なのでテングサで水増ししても良いですよ。そこに生大豆粉とエビ、ヒジキ、ホタテといった具を加えますが、この豆腐は断面の美しさを愛でながらいただくので、色合いの美しい具がお勧めです。

 イギスに独特の風味というのはありません。基本的に味付けは薄くし、酢味噌でいただくケースが多いとはいえ、今回のようにアーモンドをトッピングして異国情緒を味わうのも一興かと思います。それぞれの家庭に自慢のイギス豆腐があり、瀬戸内に暮らす庶民には欠かせない、ささやかな郷土料理です。