らんかみち

童話から老話まで

虚無の幻影におびえ

2010年12月08日 | 暮らしの落とし穴
 たかが寒村の損長に過ぎないぼくなのに、いつの間にか政治という悲しみの沼に足を取られ、体が動かなくなった。急いで渡ってしまわないと、どんどん悲しみに憑かれてしまう。
 悲しみに負けちゃダメだ、前に進むんだHAL、前に進むんだ! そう自分を叱咤激励してみても体が重くて仕方ないのは、飲み過ぎもあるけど腰椎の椎間板ヘルニアのせいだと思う。

 ここのところ少し調子が良かったので陶芸を頑張り過ぎた嫌いもあるにはあるが、会合で偉い人たちに挨拶したりして神経を使ったからだろうか。そこへもってきて島興しプロジェクトだの何だののボランティア企画に携わることに、いや引きずり込まれ、急いで抜け出さないと悲しみの沼に飲み込まれてしまう。タウリンだ、タウリン1000ミリグラム、じゃなかった、アウリンだったかな、ネバーエンディングストーリーに登場するお守りは。

 お守りだろうがドリンクだろうが、頼れる物なら何にでも頼りたいところだけど、打ち合わせして帰ってきたら役所から書類が、しかも提出期限まで4日の猶予とはどうでぇ! 役所にある悲しみの沼に囚われて息も絶え絶え。ファルコーン助けてぇ、象牙の塔に住む女王様助けてぇ、虚無に支配される前に!

幻歯痛のバーチャル・ケア

2010年12月07日 | 暮らしの落とし穴
 幻肢痛、あるいは幻痛というのを聞いたことがあるでしょうか。事故や病気が原因で指を切断したのに、無いはずの指が有るように感じるだけでなく、その指先が激しく痛むことです。どれくらい痛いのか当事者に聞いたいたところ、痛風の痛みと同じように、指先をペンチでギュギュ~と締め上げられる感覚だそうです。
 痛風の痛みはボルタレンなどの鎮痛剤を処方するんですが、有るはずの無い、いや、無いはずの有る痛みにはどんな鎮痛剤も効果は無いのだそうです。脳が未練がましく、切断されてしまった指を探して苦しんでいる、という説もあるそうです。

 ではその激しい痛みをどうやって緩和するのかというと、仮に右手の指に幻肢痛のある人は、健全な側の左手を鏡に映し、左手を見ないで鏡だけを見る。すると鏡には左手が反対に映り、まるで右手があるかのように錯覚する。そこで左手を動かし、鏡に映るバーチャル右手に注目しながらこう言う。
「な~んだ、右手はあるよ。グー、チョキ、パー、ほらね、右の指がちゃんと動いたじゃない」
 こうして自らの脳を騙すことで痛みが無くなるのというので、両手を箱に入れると、幻の手が見える装置があるそうです。
 あぁでも、なんて切ない治療法なんだ! まるで「赤ちゃんは生きているよ」と、人形を抱かせるみたいじゃないか。

 幻の痛みには幻を以て制す、とでもいうのか、だったら今日歯医者で抜かれたぼくの奥歯の痛みはどうやったら取れるんだ? そうなんです、無いはずの奥歯の幻歯痛に襲われて……じゃなくて単に麻酔が切れただけだろうか。でもさっきまで存在したはずの奥歯は今でも存在するような感覚がある上に、痛みが消えません。

「色不異空ぅ空不異色ぃ! 目に映る存在は精神世界の現象であり、実在はしない。而して目に見えない精神世界の現象もまた、実存するものと異ならない。精神世界に存在していた歯であれば、目に見えなくなった今でも実存しているのだ」
 指なら鏡に映せても、奥歯を鏡に映して見ることは非常に困難であるため、幻歯痛を克服するのに般若心経を唱えて自分の脳を騙そうと試みたら、スッキリと痛みが退きました。思いの外ぼくの脳は単純にできているようです。

ご乱心の殿方は去り

2010年12月06日 | クラシック音楽
 昨日の演奏がとても良いので、引き続きヘンデルのメサイアから「彼はレビの子らを清める」です。ご乱心の男性が装飾音をごてごて付け、芝居がかった粘着質な歌い方を披露したのと打って変わり、合唱は抑制が効いていて沈鬱です。

 近年のメサイア演奏では古楽器が主流のようです。これも300年ほど前の楽器をコピーしたり復元した楽器で演奏しているようですが、youtubeなどで聴いても軽薄な印象を受けない素晴らしい演奏だと思います。

     Handel: And He shall purify (Messiah, HWV 56)
     

and He shall purify the sons of Levi, that they may offer unto the Lord an offering in righteousness.

彼はレビの子らを清める。彼らが主に献げ物を正しくささげる者となるためである。

 たったこれだけの台詞ですが、大勢で合唱するとあたかも一編の物語が歌われたかと錯覚しそうです。そういやメサイアの楽譜を買って訳し始めたことが昔あったな、でも古語を調べるのが苦痛で最初の辺りで挫折したんだったよな。あれを自力で訳していたら人生が変わっていたかも知れないと思うと、良かったのやら悪かったのやら。

 それにしても、ご乱心の男性は外に飛び出し、棺は運び出され、これから一体どんな物語が展開するんだろう。続きを見たくて探したんですが、見つからないんです。乙女が神の子イエスを身ごもったぞーっていう部分が抜けているみたいなんですぅ残念!

クリスマスソングなのに葬送歌?

2010年12月05日 | クラシック音楽
 ちょうど一年前に共有したヘンデルのメサイアが再生できなくなっているらしい。ってことで今年もまたメサイアから「But who may abide the day of his coming」です。
 メサイアといえばハレルヤですが、あの曲だけじゃなく、二時間の演奏を通してずっと名曲が聴けるんですね。メサイア歌詞は英語だし難しくないので、バッハのマタイ受難曲みたいに難しいドイツ語の台詞を四時も間堪え忍ばなくて良いし、全体が明るい。ユダヤ教だのキリスト教だのと、仏教徒には良く分からないことを抜きにして楽しめる、クリスマスにもってこいの名曲でしょう。

 この時期になるとそこここの教会とか大学でメサイアから抜粋された曲が演奏されます。それらは大概こじんまりとしているし上手じゃないんですが、只なら喜んで聞かせていただくってスタンスです。先ずは理屈を言う前に聴いていただきましょう。

     Handel: But who may abide the day of his coming
     


台詞:But who may abide the day of His coming? And who shall stand when He appeareth? For He is like a refiner's fire.

「だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。 彼の現われるとき、誰が耐えうるか。彼は精練する者の火のようだ」

 古語混じりだけど、たったこれだけの歌詞を4分間繰り返し歌っているんです。だけど、この映像とこの歌詞はどう関わっているんだろう。
 オラトリオ「メサイア」の第一部は、「もうすぐ救い主が生まれ、ユダヤ人をローマの圧政から解放してくれるでしょう」という、ユダヤ教の預言、つまり神から預かった言葉を歌ってます。
 それがどうして葬式で歌われるんでしょうかねぇ、ぼくがブッディストだから理解不能なのか……いや、歌詞を知らなかったら、つまり理屈抜きでこの場面にぴったりの曲なんだ!

蕎麦オヤジの修行が始まった

2010年12月04日 | 酒、食
 半年後にはそば屋のオヤジを演じないといけないかも知れない、そんな羽目になってしまったので、馴染みというほどではないけど良く行くそば屋さんに相談に行きました。
 自分で蕎麦を打てるのに店に食べに行くの? と不思議でしょうか。米を自分で炊けるのに外に米を食べに行くようなものだと思うかもしれませんね。うどんだったらその通りで、市販のうどん粉を使っている店に行けば、概ね自分の打ったうどんと大きな違いは無いです。でも蕎麦に関しては店独自のブレンドの場合も多いし、打ち手の技量がその味にストレートに反映されるんです。

 本当にそんなに微妙なものなのか? といぶかる向きもあるでしょうが、ご心配なく。人気の店は機械で打ってますから~! 最後の包丁だけディスプレイしている店は少なくないですよ。店の表で粉を挽くでなく、意味もなく石臼が回っているようなチェーン店は味が安定していますが、蕎麦職人は必要ないってケースも少なくないようです。

 我が今治はうどん文化圏でして、美味しいうどん屋さんは多いと思いますが、そば屋の美味しい店はあんまりないようです。ぼくが知らないだけでしょうが、今日行った店の大将は良い腕してます。
「島に蕎麦を植えて、その蕎麦を打つ店を出すんですか。分かりました、村おこしということなら喜んで力を貸しましょう」
 大将は快く応じて下さって、プロジェクトは淀みなく進みそうです。がしかし、実際に蕎麦を打つのはぼくで、金を取れる蕎麦が打てるのかどうかってことですよね。後ろ盾は見つかったものの、これから正念場が始まるのでしょうか。

今治名物、焙烙焼き

2010年12月03日 | 暮らしの落とし穴
 市長に挨拶をするならユニクロは拙かろうとスーツを着て行ったっていうのに、みぃんなユニクロと変わらん風体で来ておるとはどういう会合でぇ? シックなスーツにネクタイしたぼくだけ浮いて見えて、市会議員と間違われとる。

 でもやっぱ市長にユニクロで名刺を渡すのもはばかられるじゃないですか。正装ではないけど、キッチリしたいでたちで「こういうもんです」と、おもむろに取り出した名刺を見た市長さん、「そ、損長……?」と。
 やってもた! 緊張して自治会長の名刺と間違え、洒落で作っている、うさこ画伯作の似顔絵入り損長名刺を渡しちまったんです。

 写真は焙烙焼きという今治名物で、宴も最高潮の頃合いに出されました。これが天然物なのか養殖なのかはぼくに聞かないでください。トッピングにアナゴが載ってる理由も、ゆで玉子が付きものである理由も不明ですが、美味しかったです。
「損長さん、ささ、お一つどうぞ」と、焙烙焼きをついばんでいる最中に市長さんが酌をしに来てくれました。本名の名刺を渡したら覚えてもらえなかったかも知れないと思うと、損長の名刺は怪我の功名だったかな。

市長につながる細い管

2010年12月02日 | 暮らしの落とし穴
 市長や県知事につながるパイプなんて大きなこと言わんし、カテーテルみたいな小さな物で良いし、胃ろうならもっとダイレクト感があって良いのだが、と走り回っておりましたところ、思いがけず市長につながる会合に招かれました。
 あちらこちらに顔を出して村の現状を訴えていたのも事実ですが、そういう付け焼き刃じゃなく、何年も前の施行みたいなものが今になって効いてきたようです。

「正直者は徳をすると教わったのも嘘っぱちだ。神様は必ず見ている、に至ってはほとんど詐欺まがいの教訓だ」と先日の日記に書いた手の平を返し、神様仏様は必ず見ていてくださるのだね、などと降って沸いたような僥倖に舌鼓を打って、ハタと気がつきました。急なことで着て行く服が無い! 

ユニクロにやられっぱなし

2010年12月01日 | 暮らしの落とし穴
 10年くらいユニクロの商品を買い続けているけど、ただの一度たりとも満足したことないです。昔は結構値が高かったので、安いのを買ったら安かろう悪かろうだったりしたんです。

 しかしヒートテックは薄い割には温かい気がして、今年はタートルネックのを買いました、1500円です。でもねぇ、100均でも似たようなのを見かけた気がするし……。
 だけど、満足したことがないと言うのなら、なんで10年も買い続けているのかって疑問は残るわけで……なんでか分からん。。。