らんかみち

童話から老話まで

今治大丸の閉店から一月余り、初めて気がついた

2009年02月10日 | 暮らしの落とし穴
 スーパーの食品売り場が敏感に反応して春物をラインナップしているかもしれない今日の陽気だったけど、ぼくの出足の方がフライングだったようです。味噌煮込みうどんなどの冬物がまだ並んでいて、最後かもしれないぞ、と買い込みました。ついでに生七味も探したんですけど見つかりません。
 生七味は今治大丸に行けばいつでも買えました。昨年の閉店前に一つ買ってあるんですが、賞味期限はそれほど長くない商品なので買い溜めができず、ちょっと残念です。
 
 郊外型の大型スーパーがいろいろ開店してくれたのはいいけど、大丸でしか手に入らなかった商品もあるし、あそこは高かったけどチーズの品揃えが豊富だったんです。
 まあ生七味もチーズも必需品じゃないからどうってことないし、どうしても欲しけりゃインターネットという手があります。ぼくと大丸との接点はその程度のもの。閉めたかったら閉めれてくれてもいいし、今まで良く頑張ったと賞賛したいくらいです。でもぼくが子どもの頃は、決してそうじゃなかったのです。
 
 今治大丸の前進は「大洋デパート」で、ぼくが子どもの頃、同じ○に大の字のロゴマークを持つ大丸が「同じロゴは日本に二つと要らん!」などといったかどうか、その傘下に入ったと聞いてます。
 大洋デパートといわれてもどこにあったんだろう、行ったことがあるはずなのに、と思い出してみたら、そこは高島屋だったりして、すっかり闇の中です。
 でも今の無粋なロゴマークになる前は憶えているし、高校の帰りに立ち寄ったものです。近所にあった「ショッパーズプラザ・ダイエー」も遊び場には都合よかったんですが、当時男子高校生の間で大流行したトレンチコートは大丸で買ったし、入学祝の腕時計も大丸の外商のおじさんから買いました。遊び方もプラザと大丸で違っていたのは、なんといっても大丸にはエレベーターがあったからです。
 
 今では都会でもエレベーターガールはあまりいないのではないでしょうか。でもあの頃は田舎のお爺ちゃんお婆ちゃんはエレベーターの乗り方を知らなかったし、百貨店にエレベーターガールがいなくてどうする! という矜持が当時のデパートにはあったのでしょうか、いつ行ってもきれいなお姉さんが出迎えてくれたものです。
「なあ、帰りに大丸に寄らんか? 麻里絵さん(仮名)ていう美人がエレベーターガールしとるんぞ」
 同窓生に誘われるまま行ってみると、なるほどすごい美人。しかも愛想が良くて、「麻里絵さんって、彼氏いるんですか」みたいな餓鬼っぽい質問しながら、用も無いのにエレベーターで上がったり下がったりする男子高校生の相手をしてくれました。
「きみたち、遊んでばかりいないで勉強しなさいよ」
 あんまりしつこいと、ビシッとたしなめられるんですが、それがまたうれしくて、「ハーイ、また来てもいいですか」と大人しく帰る。まだ男子高校生が素直でウブな時代だったのです。
 
 ぼくたちは決して一人ではエレベーターに乗りませんでした。みんなを誘ってでないと麻里絵お姉さんには会いに行けません。田舎の男子高校生は純情だったんです。
 大人になるにしたがって誰もがそういった純真さを失ってしまうわけですが、帰省して大丸のエレベーターガールのいなくなったそれに乗るたびにあの頃が懐かしく思い出され、切ない気持ちになったものです。

「大人になって働きだしたら、あのウィスキー買うて飲んでみたいのぅ、さぞかしうまいんじゃろう」
 ショーケースの中の舶来ウィスキーを眺めながら、同級生とお金を出し合って安い国産のウィスキーを買い込んで飲んだあの頃の高校生にとって、大丸は単なる百貨店ではありませんでした。都会への道標であり、外国へとつながっているだろう自分たちの未来への入り口でもあったし、青春のランドマークだったのです。大丸が閉店して一月余り経って初めてそのことに気付かされました。

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