らんかみち

童話から老話まで

葬式に見る日本人の美意識

2008年01月18日 | 暮らしの落とし穴
 親戚のおじいちゃんが亡くなったので葬儀に出かけました。親戚の、といってもぼくは会った記憶もないのですが、母の代理でしぶしぶ片道2時間かけてたどり着き、椅子に座ったところでちょうど時間となりました。
 読経が始まるや、あらら? この導師さまのお声はどこかで聞いたことが……。そう、昨日も聞いた菩提寺のご住職の声だったのです。
 
 葬式って何回出席しても今ひとつ式次第が覚えられなくて困りますし、葬儀屋さんに「こちらでご焼香を」と手引きをしていただかないと、もしや失礼があっては! などと逡巡してしまいます。
 ですが今日はちゃんと式次第を覚えられました。なぜなら、公募の作品に葬式の様子を書くために気合を入れていたからです。
 
 実は葬式ネタの作品を投稿したことがあって、入選には至らなかったんですが、主催者がそれに4コマ漫画みたいな絵をつけて、自分たちで笑い転げている様子がyoutubeにアップされたりしてました。勝手に絵をつけるのはええけど、金よこせといいたくなります。
 
 それはともかく、式次第を覚えられない理由が今日ようやく分かりました。長々と唱えられるお経が集中力を切らせてしまうのです。一見すると不可解と思える所作の連続に美を見出す前に睡魔に襲われてしまうのです。あれでときおり鳴り物が入らなかったら、厳粛であるはずの葬式にいびきが響くことでしょう。まったく葬式は良くできた儀式です。
 おっと、親族の悲しみに言及するのを忘れてましたが、大往生だからきっと許していただけるでしょう。