M馬日記(元、日曜レーサー)

塩噴きじいさんの独り言
※2011年11月をもって一時停止
 (再開未定)

ははは・・

2014年06月10日 | Weblog
『古池や蛙飛び込む水の音』

でしたね。
失敬失敬。

『静けさや』は岩にしみいる蝉の声  じゃった(たぶん)。

完全に老人性痴呆による複合技。
なんで気付いたか?  それは たまたま です(笑)。


こんなNGだすとだいたい猫じゃらしがなんか言ってくるんですけど今回は
スルーでしたね。脳まで筋肉の理系だから俳句という高尚な文化には疎い
のだろう、、(ま、公私ともどもご多忙なのだろう)。

****

『~水の音』これに気付き誰もが聞いた瞬間に場面を思い浮かべることができる
俳句にしたためる僕の感性って、どう?すごいでしょう!

と続くんですって(笑)。


確かに、これ聞いた瞬間に脳裏に蛙が飛び込んだあとの波紋の広がりが
見えるのですよね。かつ、とっても深い緑と強烈な日差し。ポチャンという
音が遥か遠くまで風紋となり広がっていくような静寂。そのコントラストは
やっぱり芸術と思うよな。

でも小学生に聞かせても「?」だろうし。となればこれがわかるのは、それなり
の文化水準の人たちであり、だからこそ自分たちが見えているけど”気付けない”
ことを「5・7・5に切り取る」才能に感嘆し嫉妬するんだろう。

と、ここまで読んでる、皆様、わかりますぅ?

そんなことを感じることが出来る私も教養深い、ということ(笑)。


という事実いや、冗談 ^^; はさておき、人間の行動ってやっぱり
「承認欲求」がその原動力になっているというのはあながち”ない”訳ではないだ
ろうな。

鍛錬の結果、勝ちたい というのも自分に対する自分を「認めたい」という欲求
によるものだろうし、誰かに勝ちたい、優勝したい、というのもそのうえでまわり
に認めてもらいたい、という欲求があるからなんでしょうね。

いえいえ、それがすべてということはないとは思いますが、そおいう要素がある
というのは間違いないと思う次第。


エベレストだから登るんですよね。
自分の限界に挑戦。それが万人に賞賛されるならなおのこと良し。


話を戻すと・・・

「ナゼジテンシャニノルノ?」
「ジテンシャデナニヲジツゲンシタイノ?」

の答えさがしでございました。

わかっていたんだけど、やっぱり『自分を自分が認めたい』からですな。
”個”との対話だから「おひとり様」でもなんとかなっているんだけど、
これに”今を生きる”と装飾が付くとやっぱり「他者」が必要になると
思っている。

となれば、今よりもはるかに集中しなくちゃいけんのだけど、、その踏ん
切りがつかないのが現実。それについたとしても、趣味をストレスにした
くはない、という自己防衛本能が働くこともある。

なにかの集団に属するということは、自由電子の集まりに飛び込むという
ことであり、結合もすれば衝突もあり、はじき出され、対消滅もあり、と
一度壊れた経験がある人間には結構気を使うところがあり、それがこちら
で”輪”を作らない(飛び込めない)主要因になっていたりするんですよね。

でも、空が落ちてくるのを怖がっていてもどうしようもないんだから
自分が自分でいるためには、もう気付かないフリも難しくなってきたよう
でもあるし、行動しないといかんのかな。

とその前に、腰だな。
コメント (2)
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